こんばんは。
少し続けましょう。
システーナの側面壁画、その南北両面対比について。
古くから行われている聖書解釈方法のひとつのようですが、
「予型論的解釈」といいまして、
キリスト教では新約聖書(キリスト)の方が原型であり、
旧約聖書に示された雛形が予型(予兆・前兆)であるというもの。
歴史的には旧約聖書が先なのですが、、
予型論的解釈においては旧約聖書から新約聖書を
理解しなければならないとされます。
キリストが中心であり、それをおぎなうために旧約世界がある、
とでも言ったら良いのでしょうか。
つまり、モーゼはキリストの予兆であり、
キリストを説明するために過去に生まれていた、という解釈。
これでもって、南北両面壁画を見てゆかねばなりません‥‥

まず、最もよく目にする作品から、少し見てみましょう。
ローマに呼ばれた画家たちのなかで、主導的役割を果たしたといわれる
ペルジーノ作品、
北面奥から5枚目のものですが
「ペテロへの鍵の授与」、イエスがペテロに天国の鍵を渡している場面、
ペテロは初代教皇とされ、ローマ・カトリックの正統性を主張しています。
鍵は2本描かれ、イエスとペテロが手にしているのは金製
ぶら下がっているのは銀製のもの、
金は愛の象徴でもあり、銀は知恵の象徴。
新約聖書、マタイ福音書の
あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩(ペテロ)の上にわたしの教会を
建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国の鍵を授けよう‥‥ (16.18)
中央8角形の建築はその教会。
左右6人ずつの使徒たちが描かれていますが、
左から4人目、財布に手をやる裏切りのユダのようで、

ちょうど跪づくペテロの頭とイエスの頭結ぶ線の逆方向に、
イエスと同じように首を傾げる若いヨハネが見えます。
「ダヴィンチ・コード」でマグダラのマリアといわれた人。
奥で小さく描かれているのは、
右手がキリストへの石投げ

キリストが自らの正統性を主張した時のユダヤ人たちの反応です。
ヨハネ福音書8.59 10.31
左が[貢の銭」の場面

イエスを試すべく、税金を払うべきか?という問いかけに
貨幣を見て、そこに刻まれた皇帝の肖像を示し、
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と言う場面。
後には左右二つのコンスタンチヌス帝凱旋門
現在もローマに残る、もちろん1つだけしか造られていませんが、
キリスト教を公認したコンスタンチヌス帝が建てた門です。
さて、この絵に対する南面の5枚目の絵画が
ボティチェリの「コラー・ダタン・アビラムの天罰」
この絵にも、コンスタンチヌス凱旋門が描かれ
どうやら遠景は、上のペルジーノと同じ湖?
画面は右から左へ3つの場面で進んでゆきます。
右は出エジプトの際人々から石で打たれそうになるモーゼ、

そして、まん中、反逆者たちを、見えない炎?によって懲らしめるモーゼ
(右中央)、それを毅然とした態度で見守る?モーゼの兄アロン(右端上)
彼は、三重冠をつけた司祭姿で描かれています。
最後左場面は、大地が裂け、その中に落ち込んでいく反逆者たちの姿。
中央のコンスタン血ヌス凱旋門の黒地の銘文には
だれもこの栄誉ある務めを自分で得るのではなく、
アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。
新約聖書 ヘブライ人への手紙 5.4
とあります。
すべては、ローマ・カトリックの権威へと結びついてゆきます。
これらのプログラムにどれだけシクストゥス4世の考えが反映しているのか、
上の2枚からでも
1.「貢ぎの銭」から、宗教的霊的力の地上の権力からの独立を暗示
2.指導者・立法者としてのモーゼ 司祭としてのアロン
3.教皇庁に反抗するものへの天罰
4.コンスタンティヌス大帝の、当時の教皇シルヴェステルに行った寄進によって
認められた教皇権力の独立性
等々が見えてきます。
5番目の2作品からの文章でした。
あとは、はたして続いてゆくのでしょうか?
ということで、
今日はこのへんで。
キリストとモーゼ
- 2012.05.15 Tuesday
- すみれ歴史雑談
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ローマ教皇権威
- 2012.05.11 Friday
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こんばんは。
少し続けてみましょう。
南面壁画から少し無謀ですが一挙に登場してもらいましょう。
モーゼのエジプト旅行

モーゼの生涯の出来事

紅海渡渉

十戒の石板の授受

コラー、タタン、アビラムの天罰
モーゼの遺言と死
代わって北面壁画 キリストの生涯
キリストの洗礼

キリストの試練

最初の使徒たちのお召し
山上の垂訓

天国の鍵の授与

最後の晩餐
一枚一枚の絵をしっかり見てゆかないといけないのでしょうが、
結構大変な作業になりそうで、
気持ちが少し萎えてしまっています‥‥
建築が1475〜80年
内装壁画に1481〜83年、という時間をかけて完成をみています。
その年の8月15日、教皇によって、被昇天の聖母マリアに、献堂されています。
ですから、ミケランジェロが最後の晩餐に描きかえる前は、
ペルジーノの聖母マリアが描かれていました。

ちなみにご存知のように、8月15日終戦記念日は聖母昇天の祝日
12月8日真珠湾攻撃等開戦記念日は聖母 無原罪の御宿り、の祭日

先回のブログにも登場した作品の一部ですが、
当初の西壁面がすこし垣間見えます。
上の2枚の絵は、モーゼとキリストのそれぞれの第1画面、
各出生に関わるものか?ともおもわれます。(資料不足)
これらの図像プログラムは、当時のヴァチカンの中枢部によって考えられ、
明らかな政治的意図を背後に暗示しています。
シクストゥス4世についてみれば、
彼は貧しい農民の子で、それゆえフランチェスコ会修道院にあずけられ、
そこでの勉学に秀で、パヴィーア・ボローニャ・パドヴァで哲学を修め、
各大学で教鞭をとるようになり、その後フランチェスコ会総長、枢機卿、
そして教皇と登りつめたひと、
教皇就任時は著作家としても広く名前も知られていたようです。
そんな人物ですから、これら壁画の内容を細かく彼が指示したのかもしれません。
しかし、彼については、
「即位のとき、教皇庁の財政は豊かだったが、在位13年間で
すっかり使い果たした。」
とも書かれています。
さて、時間も迫ってまいりました、
次回、もし気が向けば、上の壁画を少し細かく見てゆきましょう。
そうそう、ひとつだけ触れるなら、

上の壁画8枚目、キリストの試練の右端に描かれた人物
あの「パッツィ事件」の首謀者、ジローラモ・リアーリオです。
当時、教皇軍司令長官、
皮肉にも、殺されたジュリアーノ・デ・メディチの友人でもあったボッティチェリの
手によって描かれています。
彼は、どんな気持ちで描いたのか‥‥
そのボッティチェリ、ローマに1年ほどいたようですが、
父親の死によって、急遽中途でフィレンツェに戻っています。
すでに、時間が‥‥
今日はこのへんで。
パトカー2台に囲まれて‥‥
- 2012.05.10 Thursday
- すみれメンテナンス
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こんばんは。
先日、少し失態を演じてしまいました。
パトカー2台にお世話になって‥‥
ことの起こりは、
いつもお世話になっている、あるお店の改修工事、
「セキュリティーに入っているのですが、
工事当日は面倒なので、解除しておきます。」
と、お店の方のお言葉。
その日はお店はお休み、
お店の方は出ていらしゃらないとのこと。
で、鍵をお借りすることに。
工事当日、作業は順調に進み、
夕方も早い時間に終了、
それを受けて、1・2時間おいて、この私が、
完工を見にお伺いしたのが、間違いの始まり。
お借りしていた鍵で、お店に入ったとたん、
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ‥‥
「セキュリティーを解除してください。」と、乾いた女性の声、
そんなはずでは?
わが耳を疑うも、音のした方に近づくと
ランプが点滅状態、
‥‥‥‥、
あわてて、その機器に表示されている警備会社の
電話番号を104で問い合わせ、
その番号にかけると‥‥
「本日の営業は終了いたしました」
再び、乾いた女性の声、
ただ、その後に、
「お急ぎのかたは、ガード・センターまで」
と、番号を知らせてもらい、
そのダイヤルで電話を入れ、説明をすると、
「ああ、そのお店、鳴っていますね‥‥
既に警察にも通報していますから、
やがてパトカーが行きますよ、
と、その言葉を聞いたかと思うと、
音も無く、すべるように一台が、

警察官が二人降りてきて‥‥
しかしこちらはまだ警備会社と電話中‥‥
「今、既に私の目に前にいらっしゃっています、
替わりましょうか?
といきなり、警察官に携帯を手渡し‥‥
しかし、もう一人の方から色々質問が、
と、そこへまたもう一台のパトカーが‥‥
実は、仕込みのために、、
従業員の方がいらっしゃって、警報機を作動させて帰られた後
私がお伺いしたようで。
皆様に大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。
「セキュリティ」、身をもって経験させて頂きました。
書かなくて良いことを、また書いてしまいましたか。
今日はこのへんで。
ヴァチカン 城砦としてのシスティーナ
- 2012.05.08 Tuesday
- すみれ歴史雑談
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- by sumiremainte
少し、続けますが、
なかなか、壁画まで辿り着けません‥‥
今日はまず一枚の地図からスタートしてみましょう。

ヴァチカン市国の地図です。
サン・ピエトロ大聖堂(左下部)を縦に配置してありますから、
北方向が、右手になります。
結構多く番号がうたれていますが、
今の本題である、システィーナ礼拝堂は、9番です。
この地図は現在のヴァチカンの状況ですが、
システィーナ建造時、15世紀段階では、まだほとんどの建築物がありません。
(上の番号の、7,8,4,9,36?、くらい?)
サン・ピエトロも贅肉を取ったようなシンプルな長方形だったようです。
そんな状態で、7番が古くからある教皇宮殿ですが、
システィーナは、その宮殿を守るための砦の役目も持っていたようです。

上はミケランジェロが描いたとされる?、システーナ
今のように、周りを他の建造物で取り囲まれていません。
この建物、実際には地下を含めて4フロアーあるようで、
地下、中二階、礼拝堂階、それと、あの天井画の上に、広々とした屋上階があります。

そしてその屋上階には警備用の回廊がめぐらされ、
攻撃用の狭間が開けられています。

こうして見てゆきますと、まったくの軍事施設にも思えてきます。
中二階に関しては、かっては諸儀式を執り行い、
秘書執務室も兼ねていたとか。
こちらはまだ、ミケランジェロが天井画・壁画「最後の審判」を描く前の状態、
天井は青地に黄金の星辰が描かれていたようです。
壁面にはまだ2つの窓があります。
先回触れました聖障の位置も違っています。
さて、いよいよ側面6枚×2面の壁画に登場してもらいましょう。

1 西側(奥) 北面 6

6 南面 西側(奥) 1
以前にも少し触れましたように、北面にはイエスの生涯
南はモーゼの生涯です。
合計12枚のこの壁画、
実は両面対照に描かれていまして、
南面・モーゼ 奥・現在「最後の審判」 北面・キリスト
1、 モーゼの旅 1、キリストの洗礼
ペルジーノとピントリッキオ ペルジーノとピントリッキオ
2、 モーゼの生涯の出来事 2、キリストへの誘惑
ボッティチェリ ボッティチェリ
3、 紅海渡渉 3、最初の使徒たちのお召し
(海景) (湖景)
コジモ・ロッセリ ギルランダイオ
4、 十戒の石板の授受 4、山上の垂訓
(山上景) (山上)
コジモ・ロッセリとピエロ・ディ・コジモ コジモ・ロッセリとピエロ・ディ・コジモ
5、 コラー、タタン、アビラムの天罰 5、天国の鍵の授与
ボッティチェリ ペルジーノ
6、 モーゼの遺言 6、最後の晩餐
ルカ・シニョレリ コジモ・ロッセリ
となっています。
さて、個々に見てゆくのは、つづくとしまして、
今日はこのへんで。
再びポップアップ
- 2012.05.07 Monday
- すみれメンテナンス
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こんばんは。
再び水栓のお話。
再びのポップアップ水栓
先日とあるお客様のお宅で、
少し動きがおかしくなってきたとのことで、
覗いてみると、
既にお宅の御主人が応急で処置されたようで‥‥

輪ゴムをしっかりと巻き付けていらっしゃいました。
合うタイプのリングを取り付けさせて頂きましたが、
この輪ゴム結構効力を発揮していました。
さて、ここで疑問、
ポップアップという名称、
「popup」 飛び出すとか飛び上がるとかいう意味らしく、
トースター・絵本・カメラフラッシュなどにも使用され、
スポーツカーのライトにも使われます。
「pop」 となると、
1.動詞としては、ポンと音をたてる、とか、はじける。
2.形容詞では、通俗的な、大衆向きの。
3.これが面白く、
名詞で米語略式で「おやじ」と言う意味
「poppa」の略らしく
この poppa 本来の意味が、
1.父ちゃん、おじさん、
2.これがまた傑作で、(米話)と略語つきで、
若い愛人を囲っているパパ、sugar daddy とあります。
‥‥「pop」 まで行くべきでなかった?
反省しております。
どなたが名付けられたのか?
今日はこのへんで。
ローマ、フィレンツェ交戦状態
- 2012.05.04 Friday
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さて、いよいよシスティーナ側面壁画の登場ですが、
先々回ブログでも登場しましたように
絵描きたちはすべて、ローマへの出稼ぎ。
コジモ・ロッセリ 1439-1507 フィレンツェ
ボッティチェリ 1445-1510 フィレンツェ
バルトロメオ・デラ・ガッタ 14448-1502 フィレンツェ
ギルランダイオ 1449-1494 フィレンツェ
ペルジーノ 1450-1523 ペルージャ
シニョレリ 14445/50-1523 コルトーナ
ピントリッキョ 1454-1513 ペルージャ
ピエロ・ディ・コジモ 1461-1522 フィレンツェ 等々
ご覧になっていただくと、お気付きのように、
フィレンツェからの派遣が多い訳でして‥‥
教皇からの壁画制作依頼は1480年ころから。
すこし前に登場した、パッツィ事件は1478年4月
当然、この事件以降、ローマ・フィレンツェの関係は最悪状態でした。
パッツィ事件で、配下のピサ大司教を殺されたしまった、シクストゥス4世は、
フィレンツェ市全域に対し聖務停止命令を出し、
ロレンツォ・デ・メディチを破門、その身柄をローマに引き渡すよう迫ります。
ロレンツォはこの時、ローマにひとり行くことを主張しますが、
市民たちが承知しません。
フィレンツェ政府からローマ教皇に送られた書簡に
倪下はロレンツォを暴君であるから追放せよと言われますが、
多くの市民は彼をフィレンツェの防衛者だと呼んでいます。
あなたはペテロの鍵(教皇職)があなたに与えられたのは、
それをこのようなかたちで濫用するためではないことを思い出しなさい。
フィレンツェはキリストの正義がわれらに有ることを信じつつ、
断固としてその自由を守ります。
また、この教皇からの破門に怒ったトスカーナ司教は
陰謀の責任は教皇にあるとして、教皇に向け破門宣告を下します。
(世にもめずらしい「逆破門」の例であるとか)
そして、ローマ・フィレンツェは交戦状態に入ります。
当然、ローマにあるメディチ銀行の財産は没収
南から、ナポリ王国軍を主力とする教皇軍が攻め入り、
国境地帯のフィレンツェ軍砦は次々に落とされてゆきます。
それでも、当時の戦争、傭兵達の闘い、あまり真面目に戦っていないのか、
そんな中、一種膠着状態?が1年半ほど続きます。
もちろん、それでもフィレンツェは疲弊してゆきます。
そこで、ロレンツォは大きな賭けにでます。
1479年12月、単身隠密で海路・敵国ナポリ王国へ乗り込みます。
このことを後に知った幹部達は絶望の淵に落ち込みますが‥‥
(常識的に最もやるべきではない方法をとったとして)
しかし、結果、彼の単独ナポリ王説得は成功してしまいます。
1.教皇権力を今以上に強大化すればやがて隣国であるナポリの火種になる。
2.トルコ帝国の地中海世界での強大化。
アドリア海を挟んで、王国の対岸はトルコ帝国。
3.フィレンツェ、ひいてはその同盟国であるヴェネツィア・ミラノを
敵に回しては、対トルコ政策が成り立たないこと。
4.財政難のナポリ王国へのメディチ銀行からの援助
おそらく、これらの事項を説得材料としたのでしょう。
これを受けて、軍事援助を無くした教皇庁は講和に至らざるを得なくなり、
ロレンツォによる巧妙な詫びを、受け入れます。
(ロレンツォは詫びなど入れる必要は無かったといえば、なかったわけでして)
そして、錚々たるフィレンツェの画家たちの、ローマ出稼ぎへと繋がってゆく訳です。
もちろんロレンツォの声掛けによる?‥‥

向かって右側(5面しか写っていませんが)、
キリストの生涯が描かれ、
左側には旧約聖書・モーゼの生涯が描かれています。
余談になりますが、手前に見える柵のようなもの、

イコノスタシス(聖障)とも呼ばれ、聖職・一般を区切るもの

大理石製、ミーノ・ダ・フィエーゾレ作
さて、いよいよ、やっと、それぞれの作品登場になるわけですが
なんと、時が迫っています。
つづく、としまして、
今日はこのへんで。
排水の陣ではなく‥‥
- 2012.05.02 Wednesday
- すみれメンテナンス
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こんばんは。
先日、とある小工事をさせて頂くことになったお宅で
「ここのところ洗面台の排水が遅くて‥‥
工事の時に、一緒に診てもらえる?
とのご依頼。
工事時、一段落したところで、
「そしたら、少し拝見させて頂きます。」
洗面台下部のトラップを外してみるも、
それほどのゴミは確認できず、
それでも、いくらか付着しているものを洗って‥‥
「そんなに思うほど、たまっていませんね。」
とは、言いながら、
もしやと思って、細長い棒を、洗面器方向、
上に向けて、配管から突っ込んでみると、
フワッとした、鈍い触感が手に伝わってきて‥‥
ただ、この洗面器、ポップアップ部排水蓋を上から取り外せないタイプ、
ひたすら、下から異物を押し上げていると‥‥


出てきました、次から次へと、
おもわず、口をついて出た言葉が、
「‥‥写真を撮らさていただいても良いですか?」
奥さん、ご自身も、これだけ出て来ることに、
大いに感動されている風で、
快く了解のご返事。
よくご覧になってください。
写っている手は、私のものではありません。
もちろんこの異物、全体量の一部でしかありません。
結果、
排水の流れも速くなって、
ほっと一息‥‥
地中部分の詰まりも想定していただけに、
良かった、良かった、で終了しました。
お口直しに、久方ぶりに花の写真を‥‥

車のフロントガラス越しなので、少しぼやけていますが。
では、
今日はこのへんで。
システィーナ
- 2012.05.02 Wednesday
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すこし続けましょう‥‥
ローマ・カトリックには何年か毎に「聖年」というものが設けられています。
といっても正式に始まったのは1300年、教皇ボニファティウス8世の時から、
古くは旧約聖書の時代、モーゼを通じて神が50年ごとに
一年間を神に捧げることを命じ、この習慣を、
受け継ぐかたちになっているようですが、
カトリックでは、この年を大赦の年として、
ローマ巡礼者に特別な赦しを与えるとしたようです。
当初は50年ごとに設けられましたが、
1425年以降25年に一度の割合で行われるようになりました。
たとえば1450年ニコラウス5世時の聖年(第6回目)では、
この行事で教皇庁は莫大な収入を得たよううです。
(ヨーロッパ中から巡礼者がやってくるわけですから
約10万人がアルプスをこえたといわれます。
ニコラウス5世はそれをもとにサン・ピエトロ寺院の改修、
そして、ヴァチカン宮殿の造営をはじめ、
彼から、教皇がヴァチカンに住むようになりました。
そして、今日の本題、
その次の「聖年」を行ったのが、シクストゥス4世、1475年、です。
(ニコラウス5世時に得た富を再び手にするべく)
システィーナ礼拝堂は聖年の前、1473年から造営が始まり81年に完成、

以後、ここがバチカン内の最も重要な礼拝堂になります。
つまり、ここで教皇自身によってか、あるいは教皇臨席のもとに
公的なミサが行われます。
教皇の葬儀もここで行われ、
もちろん、新教皇選出(コンクラーヴェ)もここ、という具合です。

設計は、ジョヴァンニ・デ・ドルチ
側壁は3層に区分されていて、いちばん最上層に各面6つの大窓をもうけ、
天井は浅い筒型ヴォールトですが、
その窓を大きくとるため、窓上部のアーチから球面三角形のリュネットを
ヴォールトにからませて、重量を窓壁面に導いています。
これで幅13.4m空間を持たせています。
上の写真はミケランジェロの面とは逆の面、つまり外陣側、
高いところからの写真なので床がしっかり写っていますが、


この床のタイル文様、「アレクサンドリア風」 といわれ、
15世紀ヨーロッパで流行したとのこと‥‥

久しぶりの、アレクサンドリア‥‥
さて、いよいよ側面壁画について、書かねばなりませんが
夜も更けてきました。
つづく、としまして、
今日はこのへんで。
埋もれてしまった‥‥
- 2012.04.28 Saturday
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こんばんは。
先日、工務部による巡回に、
あるお客様が、ひとつの案件を。
そのことで、すこしお邪魔をさせて頂きますと、
帰り間際に、
玄関先で、そこにあった排水目皿を指さされて‥‥
「雨がふっても、水が溜まるだけで、全く流れないの、
いつも階段の方へ、掻き出しているのよ‥‥ 」
ということで、
中を覗いてみると、目皿の奥は土が見えるのみ。

ひたすら、マイナス・ドライバーで固まった土・石を
取り除き、場所柄その土を袋に詰めてゆく作業‥‥

頭の引っかけも無くなっているのを、
なんとか引き抜いて‥‥
(すこし、考古的色合い?‥‥)

この部分、水は通りました。
しかし、このあと、まだ、おまけが付くのですが、
実はこの玄関エントランス、2階にありまして、
この下の縦樋が1階地中に入っていまして、
そこでも‥‥
けっこう、このおまけにも心動かされましたが、
なんとか、開通!!
目出度し、めでたし‥‥
今日はこのへんで。
システィーナ礼拝堂 シクストゥス4世
- 2012.04.28 Saturday
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- by sumiremainte
さてさて、何をどう書くべきか?現在、目の前は真っ暗‥‥
話はいくらでも続き、いくらでも生まれてくるわけですが‥‥
はたして、それをどう料理するか?
‥‥少し話を戻しましょう。
シクストゥス4世に。
彼は典型的なルネサンス教皇として、
つまり、世俗権力・利益の増大をはかり(イタリアに火種を撒き散らす)
親族優遇・縁故者政治(ネポティズム)を行って、悪評を買っていますが、
ローマの美化と学問・芸術の復興には大きな貢献をしています。
先回のフォルリの作品にあったように、
人文学者プラーティナを初代図書館長に任命して蔵書の整理・充実をはかり
(図書館の一般開架をはじめたのは、シクストゥスです。)


ローマの都市整備・道路幅員の拡張・舗装
(シスト橋、古代ローマ以来、最初の橋です。

サント・スピリト病院の建設

サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂再建
(映画ダン・ブラウン「天使と悪魔」にも登場しました。

サンタ・マリア・デラ・パーチェ聖堂建立‥‥

さて、ここまでが前置きで、これから今日の本題‥‥
(‥‥この前置きひとつひとつで、それぞれブログが何回か書けそうで、
すこし、空恐ろしくなってきたのですが‥‥
そして、極めつけ、あのシスティーナ礼拝堂

ラテン語ではシクストゥス sixtus 、イタリア語では シスト4世 sisto で、
その表記から、イタリア語で cappella sistina システィーナ礼拝堂‥‥
彼の発願で造られています。
高さ、20.7m 幅、13.4m 奥行き、40.9m 史上屈指の宗教建築です。
何度も登場しているミケランジェロの正面壁画や天井画だけでなく、
この建物の完成時(1481年)、ミケランジェロはまだ6歳の少年、
天井画などは彼の後の教皇による依頼で、
シクストゥスに壁画を頼まれたメンバーは
ペルジーノ
ギルランダイオ
コジモ・ロッセリ
バルトロメオ・デラ・ガッタ
シニョレリ
ピントリッキョ
そして、ボッティチェリ
これらの画家たち、本来ローマを活動拠点としていた人はひとりもいなく、
トスカーナ、ウンブリア地方等から呼び寄せられています。
(それだけまだローマは発展?していなかった。)
気鋭の画家たちが一堂に会し、大変な光景だったのでは‥‥
さてさて、これから、これらの画像を探さなければなりません。
もちろん残存していないものもあります。
ミケランジェロが「最後の審判」を描く前、その同じ場所に
ペルジーノの「聖母被昇天」を含む3枚が描かれていたようですが
新作のために破壊されてしまいました。
資料は残っているのでしょうか?
‥‥トンネルに入り始めた気持ちです。
夜も更けてきました。
今日はこのへんで。
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