夜の画家

   こんばんは、

   どんな風に話を続けてゆくのか、分からないままに始めてしまいました、、

 

        

                                               from: wahooart.com

         まずは一枚の絵から

              ヘラルト・ファン・ホントホルスト(1592-1656)

                              使徒トマスの疑い 1620年頃、プラド美術館像 130×100?

    そのトマスに関して、ある文章を引用してみましょう、、

 

     トマス(Thomas)は、<深み>というほどの意味である。あるいは、<二重の者>

     という意味で、ギリシア語のDidymos(ディデュモス)にあたる。あるいは<分割>

     もしくは<分離>を意味するthomos に由来する。彼が<深み>と言われるのは、

     神性の深奥をきわめたからであり、つまり、キリストが彼の問いに

     「わたしは道であり、真理であり、生命である」と答えられたからである。

 

     彼が<二重の者>と言われるのは、主の復活が真実であることを、

     他の人たちのようにただ眼で見るだけではなく、見るとともに手でさわって

     二重に確かめたからである。

 

     彼が<分割>もしくは<分離>と言われるのは、こころを世俗の愛から分かったから

     であり、また、復活されたキリストを信じる点でほかの使徒たちと意見が分かれた

     からである。あるいはまた、Thomas は、totus means つまり、

     <あまねくめぐり歩く人>という意味でもある。

 

     すなわち、神への愛と観想とにおいてあまねくめぐり歩いたのである。

     というのは、この神への愛を証明するとりわけ3つのことが、彼にそなわっていた

     からである。

     プロスペルは、『観想的生活について』の中でこう述べている。

     「神を愛することは、こころのなかで神についての観想を切に熱望し、罪を憎み、

     世俗を軽蔑すること以外のなんであろうか」と。

 

               ウォラギネ「黄金伝説」使徒トマス、冒頭

 

 

     

    たとえば、「わたしは道であり‥‥」というキリストの答えを引き出した

    トマスの質問については、、

    そもそもその質問が発せられたのは、「最後の晩餐」のとき、

    「わたしを裏切ろうとしているものがいる」という言葉をイエスが呟き、

    裏切り者のユダがその場を去ってから、

    イエスはその自らの死を予測し、先に逝くことを暗示し、

 

      「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして行って、

      場所が用意できたら、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。

      わたしのおる所に、あなたがたも居らせるためである。わたしがどこへ

      行くのか、その道はあなたがたにはわかっている。」

      トマスがイエスに言った、

      「主よ、どこへおいでになるのか、わたしにはわかりません。

      どうしてその道がわかるでしょう」

      イエスは彼にいわれた。

      「わたしは道であり、真理であり、命である。

      だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

 

                新約聖書ヨハネ福音書、14章

                      、、、、

 

 

    もうひとつ、トマスに関する逸話を聖書から拾うと、、

    同じヨハネ福音書11章、ラザロを蘇らすためにもう一度ユダヤに行きたいと

    弟子たちに言ったとき、弟子たちは「ユダヤ人たちが、さきほどもあなたを

    石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」と反対したとき、

    トマスひとりが、

 

      「わたしたちも行って、先生とともに死のうではないか」

 

            と、みなを鼓舞します、、

            この言葉にイエスがどれほど救われているか、、、

                   、、、、

 

 

   さて、使徒トマスについて少し見てきましたが、

   そろそろ今日の本題に入ってゆかなければならないようです、、、

   まずは、上の2番目の文章、わたしは「道であり、、」に続く部分から、、

 

      だれもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(つづいて)

      もしあなたがたがわたしを知っていたならば、私の父をも知ったであろう。

      しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

      ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。

      そうして下されば、わたしたちは満足します」。

      イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに

      わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。

      どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

      わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。

      わたしがあなたに話している言葉は、自分から話しているのではない。

      父がわたしの内におられて、みわざをなさっているのである。

      わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。

 

           そう、イエスにたしなめられます、、

           その「ピリポ」、先回と同じシリーズで、ラ・トゥールが描いています、、

 

         

                                                    from:  wikipedia

          使徒ピリポ(フィリポ) クライスラー美術館 アメリカ

                                                    63×52

           、、先回のトマスの肖像とは打って変わって、

             内向的・内省的な作品、、

 

 

     今日の本題はこの画家を、と思っているのですが、

 

     ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593−1652)

     パン屋の息子として生まれ、当時のフランス国王ルイ13世付の画家にまで

     登りつめた人、彼の息子は貴族にまでなっています、、

     その息子が画家であったことを隠すようにしていたためもあって、

     よけいに彼の名は人々の記憶から消え去ってゆきます、、

     その作品も、何百枚も描かれたといいますが、何度も戦乱に遭遇し、

     現在残っているのは、40枚ほど、、

 

     さて、その彼、歳をとるにつれて、夜の場面を描くようになり、、

                  、、、、

 

        

                 from: wikipedia

        ヨセフの夢 製作年ははっきりしません、1640とか45年説も

             フランス・ナント美術館蔵  93×81

 

     マリアの懐妊は精霊によるものである、と、天使がキリストの父(ヨセフ)

     の夢の中で語っているところ、、

     直接、ロウソクの炎を描くことなく、その光で画面を構成していますが、

     光の当たり方は実際の様ではなく、新たに造られています、、

     天使がロウソクの手前に立っているのに、顔を照らす光は、

     すこし画面手前からのように描かれています、、

 

     そもそも、ロウソクの炎、キリストの顕在とかの象徴、

     生命とか、信仰の象徴でもあります、、

 

        もう一枚、

 

        

                                                 from: wikipedia

                            聖ヨセフ  ルーヴル美術館蔵  137×102

                    1642 or 1645年

 

        父・ヨセフは大工、彼が作っているのは十字架です、、

 

     

 

        ヨセフはイエスを見つめ、

          この視線、いとしい我が子にむける愛の目であるよりも、

          もうすこし違うものを表現しているようにも見えてしまいます、、

        イエスは父の目を見つめかえすことなく、

        口を少し開いて、なにかをしゃっべっているようですが、

        目は父の顔に向けられていません、、

                                         、、、

 

        

          もう一枚、

 

        

                     from:wikipedia

            生誕 フランス・レンヌ美術館蔵  76×91

                  1648−51 45−48年説も

 

       

              

       マリアの母アンナとマリア、生まれたばかりのイエス

       アンナの視線はイエスに向けられているようにも見えますが、

       どうも、あらぬところを見つめているような、、

       首をいくぶん傾けていますが、それもイエスから逆方向、

       画面手前に向けて、すこし引くように、、

                  、、、、

 

      

       もう一枚最後に

 

      

                                           from:salvastyle.com

                     羊飼いの礼賛 ルーブル美術館蔵 107×137cm 

 

       両脇にマリア(赤い服)とヨセフを配して、

       中に杖を持った羊飼いとミルク壺を持った女性、

       中央の人物は帽子に手をやって、笛のようなものを持っています、、

         杖は、武器にもなることから神から授けられた権力の象徴にもなり、

         羊飼いが持つという笛は、音楽、、音楽は神の栄光の賛美につながり、

         ミルク壺の乳は赤ん坊が最初に口にするのもで、豊穣のシンボル

         永遠の命をもあらわします、、

 

 

 

       この5人の人物、明らかにイエスを見ているようなのは、

       中央の笛吹と右端のヨセフ、、

       他の3名は、どうも視線が読めません、、

 

       そして、イエス、

       子羊は彼自身の象徴でもあります、

 

                

 

 

       すこし枚数を多く挙げすぎました、、

 

       ただ、どの作品にも共通してしまうのが、、

       それぞれに単独の個人として描かれていること、、

         、孤独なひとりの人間として、

       各個人のあいだの交流や連帯、一体感をあまり感じられないのは、

       私だけでしょうか、、

                、、、、

       

 

       ラ・トゥールが生きた時代、戦乱や疫病(ペストをはじめとする)で

       生まれた人の半数が20歳までに亡くなっていたとも言います、、

 

      

       そして、1652年1月、

       15日に妻を亡くし、22日に子供のひとり(従僕説もあり)を、

       30日には後を追うようにラ・トゥール自身も亡くなってしまいます、、

 

             、ペスト、、です、、

 

 

 

          

          さてさて、「死」が今よりもずっとずっと

          身近であった頃のお話でした、、

 

 

          今日はこのへんで、、

 

             

             参考文献

               以前からのものに加えて、

               田中英道「冬の闇 夜の画家ラ・トゥールとの対話」新潮社

               名画への旅12 絵のなかの時間 講談社

               世界美術大全集 西洋編17  バロック・2  小学館

       


マリアの腰帯

   こんばんは、

   結構、時間が空いてしまいました、、

     それでも、もうすこし聖母マリアを続けます、、

 

     まずは、再登場(2012.3.15)のフレスコ画、

 

       

                                from: ART PRINTS ON DEMAND COM

 

       フィリッポ・リッピ(1406-69)の「サロメ」

        片足で立ってダンスを踊っています、、

        思うに数多ある「サロメ」のなかでも最も可憐なもの??

 

   さて、このフレスコ画がある、プラートの大聖堂、

 

      

                                   from:Wikipedia

 

         ここに、もうひとつお宝がありまして、、

 

            

                                 from: STAMP Tscana

 

    ケースのなかに、帯(布製ベルト)のようなものが入っています、

    14世紀頃にこの街にもたらされた、聖母マリアの腰帯です、

    

      この由来は、、

 

      

                  from: Wikipedia

 

        パルマ・ヴェッキョ(1480-1528)

                 「聖母被昇天」1512-14年頃、ヴェネツィア・アカデミア美術館

 

     天に昇ってゆくマリアの手元に紐のようなものが、、

     これが、マリアの腰帯になります、、

 

      この話の主人公はキリスト12人弟子のひとり、聖トマス、、

      彼はインド?へ宣教していたため聖母の昇天に間に合わず、、

        彼、キリスト復活の際も、実際にイエスと対面し、

        磔刑時についた槍痕を見るまではそれを信じなかった

        という経緯がありまして、(2014.4.4.記)

 

          新約聖書ヨハネ福音書20.25

 

           「12弟子のひとりで、デドモとよばれているトマスは、イエスが

           こられとき(復活して)、彼らと一緒にいなかった。他の弟子たちが

           彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに

           言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとに

           さしいれ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、

           決して信じない」。

           8日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒に

           いた、戸はみな閉ざされていたが、イエスが入ってこられ、中に立って

           「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指を

           ここにつけて、わたしの手をみなさい。手をのばしてわたしのわきに

           さし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。

           トマスはイエスに答えていった。「わが主よ、わが神よ」。イエスは

           彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか、見ないで

           信ずるものは、さいわいである」。

 

        それゆえ「疑い深いトマス」という呼び名まであります、、

 

      このことを思ったマリアが、トマスのために腰帯を天から落とす、

      というもの、、

 

         

 

      このトマスについては、謎が多く(あまり資料がなく)、

      インドで建築家と偽って、王に仕え、大金を手にして、

      それをことごとく貧しい人々に喜捨し、、

      最後は異教徒に槍・剣で刺されて殉教したとか、、

                                             、、、、

 

 

    さて、この「トマス」を描いた ラ・トゥール(1593-1652)の作品が2枚ありまして、、

 

      

          東京、国立西洋美術館蔵 1623年頃作  

                                          from:wikiart

 

          もう一枚は ルーヴルに、、

 

      

          1632−35年頃作  from:wikimedia commons

 

          二人ともが手にする槍、

          自らもそれに刺しつらぬかれ、

          イエスの傷痕をも思い浮かばせます、、

 

 

     ルネサンス期の甘美さからはほど遠く、、

     斜め上からの視線と、すさまじいまでの描写力で見るものを圧倒します、

     このふたりの眼差しは、何に向けられているのでしょう、、

     「トマス」という人物をとおして、画家は何を表現しようとしたのでしょう、

                、、、、

 

       この画家、今世紀になるまで、まったく忘れられていまして、

                、、、、

 

       いまでは、彼の名が存在しなかったこのなど、

       考えられもしないのですが、、

                、、、、

 

 

 

    

       さてさて、すでに時間がせまっています、、

       何もかもが途中ですが、「つづく」としまして

       今日はこのへんで、、

 

     

           参考文献

             以前からのものに加えて、

             ウォラギネ「黄金伝説全4巻」平凡社

             高階秀爾「フランス絵画史」講談社学術文庫

      

 

    


回勅 聖母マリア

   こんばんは、

   すこし続けてみましょう、、

         ひとつの冊子の表紙から、、

        

                

                   from:ANTIQBOOK

 

          先回からの、ピウス9世の回勅「無原罪の御宿り

              フランス語版です、

 

    このなかに、、

 

     口にしてはならないほど神聖な神は、最初から、この世が始まる以前から

     彼のひとり子イエス・キリストのために、ひとりの母親を選んだ。

     そして至福に満ちたメシア到来のときが来ると、その母親の胎内から

     人間の姿となって、この世に生まれることが出来るような手はずを整えた。

     神はこの母親にあらゆる被造物に対するよりもずっと多くの愛を注いだので

     この上ない好意を特別な方法によって彼女に示した。

     それゆえ神は天国のあらゆる恩寵をご自分の宝のなかから取り出して、

     どのような天使や聖人に対するよりもずっと多くのもので彼女を満した。

     そして、それとともに、彼女をあらゆる罪の汚れからたえず守り、

     この上もなく完璧なものとした。

     彼女はこれほどまでに純真さと神聖さで満ちあふれているので、神のもので

     彼女以上偉大な存在を人間に宿すことが出来ず、神以外には誰も心のなかに

     彼女を宿すことはできない。そして彼女がこれ以上ないほど神聖な光で

     つねに輝いており、原罪の汚れから完全に守られいなければならなかったのは

     かって人類を罪に陥れた蛇に対して申し分のない勝利をおさめるためだった。

     (略)人類の救い主であるイエス・キリストのために全能なる神の特別な

     好意と恩寵によって聖処女マリアが受胎される瞬間にあらゆる原罪の汚れから

     守られていたという教義は神によって啓示されたものであり、全信者が

     断固として信じなければならないということを我々は宣言し表明し定義する。

             1854年12月8日

 

 

   これと並んで言及される、回勅「聖母の被昇天

   すこし引用してみますと、、

 

           

                                       from:,운석장면기념관

 

                   こちらは英語版

 

     しかしながら、我々の時代には、神の母である聖母マリアの肉体が天国へ

     のぼったという「聖母被昇天」の特権をあきらかにするという課題が残され

     ていた。(略)

     かってこの特権は、不朽の名声を残した我々の先任者であるピウス9世

     神の母の「無原罪の御宿り」という教義を厳かに定義したとき、新しい光で

     輝いた。実際、このふたつの特権はきわめて緊密に結びついている。

     イエス・キリストはご自身の死によって、罪と死に打ち勝った。また洗礼に

     よって超自然的に生まれ変わった者は、イエス・キリストと同じように罪と

     死に打ち勝つのである。

     しかし一般的な法則として、この世の最後が訪れるときまで、神は正しい

     人々が死に対して完全な勝利をおさめることをお認めになっていない。

     それゆえ正しい人々の肉体でさえも死後には腐り、この世が終わりを告げる

     ときになってはじめて、栄光に満ちた自分たちの魂と結びつくのである。

     ところが神は聖処女マリアがこの普遍的な法則から免れることをお望みに

     なった。例外的な特権を得た聖母マリアは、「無原罪の御宿り」によって

     罪に打ち勝ったので、墓の中で腐敗する法則にもしたがうべきではない。

     (略)

     高貴なる神の母が神の子イエス・キリストときわめて緊密に結びつき、

     たえず運命をともにしている様子を我々のまえに提示する。それゆえ、

     イエス・キリストを身ごもり、彼を生み、彼に乳を含ませ、彼を腕の中に抱き、

     胸に引き寄せた女性を、この世で生命を終えたあと、精神的には無理だと

     しても少なくとも肉体的に彼と引き離したままでおくのは、ほとんど不可能だと

     思われる。

     なぜならわれらのあがない主はマリアの息子イエス・キリストであり、非の打ち

     所がない神の法則の守り手である彼が、永遠の父と同様にこの上なく愛する

     母を、尊敬しないでいることなどできなかったからである。彼は彼女を最大限の

     栄誉で飾ることができたので、彼女が墓の中で腐らないように守ったことだろう。

     それゆえ、これが彼によって実際に行われた出来事であることを信じなければ

     ならない。(略)

     したがって、永遠の処女である汚れなき神の母マリアが、この世での生涯を

     終えたときに魂も肉体も天の栄光にあげられたことは、神によって啓示された

     教義であるということを、我々は宣言し、表明し、定義する。

                       1950年11月1日

                          ピウス12世

 

     

   このふたつの回勅・教義、

   そもそもは民間信仰として古くから(古代世界)から信じられていたのにもかかわらず、

   最近になって、こういうかたちで、あらためてさし示されています、

 

 

   1854年の「無原罪の御宿り」では、

   当時ヨーロッパをとりまいていた「共和国思想」、

     つまり、宗教や民族の範疇ではなく、同じところに住むというつながりをもとにして

     国家を形成してゆくという考え、

   この考えに対抗して、そもそもの宗教に眼を向けさせようとしたもの、、

 

   しかし、先回も触れましたが、イタリアは統一され、法王ピウス9世は

   領土も世俗的主権も無くしてしまいます、、

   

   共和国思想をもつ人々からは反感の矛先となりますが、

   それに反して、宗教者としてのカリスマ性はおのずから高まってゆきます、、

   そして、世俗権力を失うまぎわに、1870年、

   宗教上の絶対的権力とでもいうべき「教皇首位説と教皇不可謬説」を手に入れます、

 

                  、、、、

 

 

   そして、1950年の「聖母マリアの被昇天

      1946年のチャーチルの「鉄のカーテン」

      1949年、「北大西洋条約機構」

      反共産主義や、反軍事主義の意味合いも含んで、、、

 

                  、、、、

 

 

   さてさて、すこし殺伐としてきましたか、、

   1505年から10年にかけて製作されたという祭壇彫刻に最後に登場してもらいましょう、

   作者はリーメンシュナイダー(1460年頃 - 1531年)

   ドイツ、、ニュルンベルクとハイデルベルクの中間ポイント、

   クレクリンゲンの巡礼聖堂にあります、

 

    

                                       from: Christ Bearers

 

           天使たちによって昇ってゆく聖母、、

 

     

                                                from: Wikipedia

 

             それでは、、

             今日はこのへんで、、

 

 

                                    参考文献は先回の分に加えて、

                シルヴィー・バルネイ「聖母マリア」創元社

 

   


ヴァチカンの囚人

   こんばんは、

   すこし話を続けていこうと思っていますが、

   最近、このブログページ、とんとアクセス回数が減少していまして、

   コピーされているページに完敗している状態です、、

   しかし、トータルの数字で考えれば、あまり変化していないのかもしれません、、

      読まれる方としては、どのページでアクセスしても関係ないわけですから、、

      まあ、しっかり内容を充実させることを、考えていれば良いのでしょう、、

             、、、、

 

   というわけで、まずは再登場の教会聖堂から入っていきます、、

 

      

     

      ローマ、 サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂

            (写真はウィキペディアより)

        2010年7月頃にすこし触れました、、

    全世界の聖母マリアに捧げられた教会のトップにあるような存在です、、

 

    この建物の、、祭壇の前に、、

 

      

                photo: Aleksandr Reznik

 

        半地下のようになったところ

        祭壇に向けて手を合わせている画面下の石像、、

        先回登場しました、ピウス9世です、

        (1792-1878、教皇在位1846-1878)

 

    聖母マリアの無原罪の御宿り(マリアが母アンナの胎内に宿った時から

    原罪を免れていたとする)を取決めた人、、

    、、マリアに捧げられた教会の祭壇に向け祈っているわけですが、、

 

 

    ピウス9世、「宗教の近代化問題」と、まともにぶちあたった人、

    そもそも領有していた、ローマ教皇領を最終的にすべて失ってしまった人、、

 

       1870年9月19日、イタリア王国軍はアウレりアヌス城壁に到着

           ローマは完全に包囲され、教皇配下の兵士たちは抵抗したものの

           翌20日にはピア門から市内に入場します、、

       10月2日、ローマでイタリア王国への合併を問う住民投票が行われ、

       9日イタリア王国にローマは併合されます、

       翌71年7月2日、イタリア王国首都はフィレンツェからローマに遷都、、

 

 

         ピウス9世、当初教皇に選ばれた時点では、

         イタリアをはじめ、全ヨーロッパ的に大人気を博していました、

         (その、前任教皇と比較しての自由主義的傾向のため、)

         しかし、イタリア本土の共和国化と、対オーストリア戦争に反対の立場を

         とったため、一挙に支持は落下、、苦しい立場に立たされます、、

 

 

       併合後は、イタリア政府から、ヴァチカンのみの領有を勧められますが、

       それをも断って、イタリア王国と断交、対立の立場を貫きます、、

 

 

    先回も少し触れました、1870年第一回ヴァチカン公会議で採決された、

    「ローマ法王の無謬性」と書きましたが、

    正式には「教皇首位説と教皇不可謬説」、、この採決が1870年7月

       教皇不可謬説:信仰および道徳に関する事柄について教皇座から

       厳かに宣言する場合、その決定は精霊の導きに基づくものとなるため、

       正しく決して誤りえない、というもの、

 

 

    ローマ併合後は、自らを「ヴァチカンの囚人」と名のり、

    国王や政府役人を破門に処し、カトリック信徒の政治(選挙等)参加を禁じる教令

    「ノン・エクスペディット」を出したりもします、、

 

    そんな教皇、 

    1878年2月7日死去、

    その不人気さゆえ、葬儀は延ばされて3年後の7月12日に行われますが、

    反感を持つ人々によって、葬列に泥を投げ込まれ、危うく棺をテヴェレ川に

    投げ込まれようとまでされます、、

              、、、、

 

 

      さて、そのお墓ですが、、自らの意志により、、

 

       

                                     photo:The Benedict Forum

 

      ヴァチカンの地下墓ではなく、

      こちらも再登場、サン・ロレンツォ・レ・ムーラ教会に納められています、

      自らを、虐殺された殉教聖者ラウレンティウスにたとえての行為とか、、

                      (2010年7月記)

        

 

    

      ひとつ補足するなら、この教皇、秀吉により長崎で殉教した26人を

      列聖した人でもあります、

               (1862年、文久2年のこと)

 

 

      もう一つ付け加えておきましょうか、

      このピウス9世、その在位期間が31年7か月間になりますが、

      この数字、歴史上の最長記録になります、、

         ちなみに、逆の最短期間記録は、13日間、というウルバヌス7世

         (1521−1590)、この1590年の9月15日から27日までの在位、

         69歳で亡くなっていますが、教皇になるのが遅すぎた?

         といいますか、、死因はあのマラリア、、

           (マラリアについては2012.5.18に触れています)

  

       在位期間は長くなっていますが、世俗の世界に深く絶望し、

       おそらくは心鎮まることのない日々だったとも思われます、、

 

      

                  

                     Terri Batler photography

 

 

          さてさて、とりとめもなく書いてしまいました、、

          それでは、今日はこのへんで、、

 

 

              参考文献:

                松本佐保「バチカン近現代史」中公新書

              先回から引き続くものとして、、

                竹下節子「聖者の宇宙」中公新書

                    「聖母マリア」講談社選書メチエ

                植田重雄「聖母マリア」岩波新書

                山形孝夫「聖母マリア崇拝の謎」河出ブックス

              

                ミシェル・フイエ「キリスト教シンボル事典」白水社

                柳宗玄・中森義宗編「キリスト教美術図典」吉川弘文館

                        ほか

  

 

 

 


原罪、無原罪、、

   こんばんは、

   話を続けなくてはと思ってはいるのですが、、

   まずは、一枚の作品から、、

 

       

 

          ベラスケス(1599-1660) 無原罪の御宿り 1618年 

        135×101,6cm  ロンドン、ナショナル・ギャラリー 

             (注)ウィキペディア 同題 よりの画像、

 

    先回の、スルバラン(1598-1664)の作品より遡ること十数年のもの、、

    こちらは球形の月?の上に乗った聖母マリア、

    頭部には12の星が描かれ、足元には永遠の生命を象徴する噴水?

            先回のスルバランは地上が昼だったのに比べ、こちらはまったくの夜景、、

 

      この月の上の女性、

      もとをただせば、新約聖書のなかの最終聖典、

      「ヨハネ黙示録」(成立・1世紀末頃?)のなかに、

      

         「また天に大きなしるしが現れた、

          一人の女が身に太陽をまとい月を足の下に

          頭には12の星の冠をかぶっていた、、、

 

 

      もちろんこれは、聖母マリアについて書かれたものではありません、

      世界の終わりについて書かれた「黙示録」その中の一場面ですが、

      これが、聖母マリアのイメージと重なっています、、 

                 、、、、

 

 

    さて、この聖母マリア、

    彼女についての、宗教上の取り決め(教義)がいくつかありまして、、

 

    まず第一に、先回述べました、神の母(テオトコス)とした教義、

       431年に、エフェソスの会議で決議されたもの、、

 

 

    第二は、649年、ラテラノ公会議で正式に決められた、

        「マリアの処女性」に関するもの、

        処女懐胎、、夫ヨセフと交わることなしにキリストを身籠ったこと、

 

        これについて最初に書かれたのは、 マタイ福音書 1章18節、

          「母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に

          精霊によって身重になった、、

        ルカ 1章28節には、

          「6か月目に、御使いガブリエルが、神からつかわされて、ナザレという

          ガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出である

          ヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリアといった、

          「めぐまれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

          この言葉にマリアはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事で

          あろうかと、思いめぐらしていた。すると御使いが言った、

          「恐れるな、マリアよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。

          見よ、あなたはみごもって男の子を生むでしょう。その子をイエスと

          名づけなさい、彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられる

          でしょう。そして主なる神は彼にダビデの王座をお与えになり、彼は

          とこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

          そこでマリアは御使いにいった。「どうして、そんなことがあり得ましょうか。

          わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使いが答えていった、

          「精霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。

          それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられる

          でしょう。(中略)神には、なんでもできないことはありません」。

          そこでマリアが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり

          この身に成りますますように」。そして御使いは彼女から離れていった。

                    、、、、

 

 

    そして、第三の教義が1854年、ピウス9世によって宣言された

        「無原罪の御宿り

        聖母マリアはその母アンナの胎内にやどった時から、

        原罪(男女の交わりにより続いてゆくアダムとイブの神に背いた罪)から

        まぬがれている、というもの、、

 

        この教義は、最も無理があり、古来論議の対象とされ、

        1644年のローマ異端審問条例では、「無原罪の御宿り」

          Immaculata Conceptio

        という言葉の入ったすべての文書の没収を命じていたりもします、、

                    、、、、

 

 

    最後、四つ目が、1950年ピウス12世(再登場、2013,4記)によって定められた、

        「マリアの被昇天

        マリアの生涯の最後に肉体と霊魂をともなって天井に上げられた

        というもの、、

 

        これには、4つの意味合いが含まれるようですが、

 

        1.マリアがその神への従順さによって、イブの犯した罪

          (神の言葉に背くという)を購った、、

        2.イエスを宿した肉体を死によって腐らせるのはよろしくないという考え、

        3.イエスが天から人間界に降りてきたことに対して、マリアが逆に天へ

          上げられるという、対称性・互換性の認識、  

        4.天上の世界の男女両性性

          天井に女性的華やかさを付加する、、

 

 

        この教義宣言が行われたのは、

        1870年の第一回ヴァチカン公会議での採決された「ローマ法王の無謬性」

        (法王判断の、公会議決議より以上の優越性をもたせるもの)

        その決定後の、法王による最初の行使として、注目をあびたといいます、、

                   、、、、

 

 

 

    これらの教義、民間の信仰では、古くから行き渡っていましたが、 

    正式なカトリック教義としては、このように生まれたました、、

    しかし、これはあくまでローマ・カトリックでのお話、ギリシア正教や

    プロテスタントでは扱いが異なります、、

 

 

 

         さてさて、はたして何を書こうとしたのでしょうか、、

         今、ほんとうに時間がありません、、

 

           、、ほんとうに、、

 

         参考文献も挙げてゆかないといけないのですが、、

 

         、、、今日はこのへんで、、

 

 


無原罪の御宿り

   こんばんは、

   今回はどうもうまく頭が纏まってくれません、そのための時間もなく、、、

      しかし、すでに日がどんどん過ぎていってしまうので、

      強引に書き始めてゆきます、、

 

      

 

        再々登場?ヴェロネーゼカナの婚宴」ルーブル美術館、

                  2014.10.31記

 

 

    この場面を、まずは、「新約聖書、ヨハネ福音書 第2章」から

 

      「それから3日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母が

       そこにいた。イエスも弟子たちも婚礼に招かれた。

       すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、

       「お酒がなくなりました。」 イエスが言われる、「女の方”放っておいて

       下さい。” 私の栄光を示す時はまだ来ておりません。」

       母は召使たちに言う、「”なんでもこの方の言われるとおりにして下さい。”」

       そこに、ユダヤ人の清めの儀式のために、石の水瓶が6つ置いてあった。

       いずれも2、3メトレタ(80〜120ℓ)入りてあった。

       イエスは召使たちに言われる、「水瓶に水をいっぱい入れよ。」口まで入れると、

       彼らに言われる、「さあ汲んで、宴会長に持ってゆきなさい。」

       宴会長は酒になった水をなめてみて、---かれはその訳を知らなかったが、

       水を汲んだ召使たちは知っていた。---宴会長は花婿をよんで言う、

       「だれでも初めに良い酒を出し、酔いがまわったところに悪いのを

       出すのに、あなたは、よく今まで良い酒をとっておいたものだ。」

       イエスはこの最初の徴(奇跡)をガラリヤのカナで行って、神の子たる

       栄光をお現わしになった。弟子たちが彼を信じた。

                       福音書 塚本虎二訳 岩波文庫   

 

               

 

           ほぼ中央に描かれている、イエスとマリア、、

                             (注)パオロ・ヴェロネーゼ 主要作品の解説と画像・壁紙 より

 

     イエスは母マリアを「女の方よ」と呼びかけています、

     たとえば、日本聖書協会の訳では、「婦人よ」と呼びかけ、

 

        「あなたは、私となんの係わりがありますか、私の時は、

         まだきていません」

            と、書かれています、、

            聖書は本来記されたヘブライ語からギリシア語、そしてラテン語と

            訳されてゆくあいだに、いくぶんかの改変がどうしても

            生じてしまったと言われます、、

 

      いずれにしたところで、この場面でのイエスと母マリアの関係性は、

      複雑です、、

      すこし強引にイエスに奇跡を要求するマリア、

      それに対し、しぶしぶそれを行うイエス、、、

                     、、、、

 

 

   もうひとつの場面を引用してみましょうか、、

   イエスの最後の時、、おなじく「ヨハネ福音書」からです、、

 

       イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロバの妻マリアとが

       たたずんでいた。イエスはその母と愛弟子とがそばに立っているのを

       ごらんになって、母にいわれた、「婦人よごらんなさい。これはあなたの

       子です。」それからこの弟子に言われた。「ごらんなさい。これはあなたの

       母です。」その時以来、この弟子はこの弟子は、イエスの母を自分の家に

       ひきとった。

                (岩波文庫版では、「女の方よ」です

       

           4つの福音書のなかで、イエスの死に母マリアが立ち会ったと

           書かれているのは、このヨハネ福音書のみ、

           残りの3つには、「母」という記述はこの場面には見えません、、

       

 

           先回も触れましたが、

           母マリアという存在を聖書の中にさがしても、

           思うように現れてはくれません、

 

                     、、、、

 

 

   さて、そろそろ本題に入ってゆかねばなりませんが、

   まずは、一枚の作品から、、

 

         

 

       再登場画家、スルバラン(1598-1664)  無原罪の御宿り 128×89

                                      1630年  マドリッド プラド美術館

             wikipedia Fracisco de Zurubaran より

 

      月の上にのった聖母マリア

      まわりの雲の切れ間からは、それぞれ天国を表すものが見えます、

 

        左上から、天国の門?、あいだに星が見えて、その下は殿堂のようなもの、

        その下には、また星が、

        右上には、天国への階段、聖遺物を納める器に、、その下は?

 

        地上には、スルバランが活躍したセビリアの町並みと行きかう帆船、、

        

        マリアの頭の周りの星が10個描かれていますが、

        本来は12個のもの、隠れている部分があって、、

        それもあってか、残りの二つを別に描いています、、

 

          12は世界を表す数字、

          12ヶ月、キリストの12人弟子、、等々、、

 

        そして、月は、太陽のイエス・キリストと対比しての聖母マリアを

        象徴するものでもあり、教会を示すものでもあります、、

 

                    、、、、

 

 

    

             さてさて、すでに時間が迫っています、、

             本題に入るまえですが、、

             「つづく」とさせていただきます、

 

             今日はこのへんで、、

 

 

                             


エフェソス、、聖母マリア

   こんばんは、

   すこし話を続けようとは思うのですが、、

     「夢」からは離れてしまいそうな、、

 

       まずは一枚の画像から、、

    

 

       パリ、ノートルダム(われらが貴婦人の意・聖母マリア)大聖堂、

       正面左手エントランス上、アーチ部分のレリーフ

 

    横たわっているのは、聖母マリア

    天使たちが天上へまさに運ぼうとしているところ、

 

        いわゆる、聖母マリアの昇天、

 

    画像が切れていますが、キリストの12人の弟子たちが周りを囲んでいます、、

    ただし、歴史上こういう場面はおそらくなかったであろうと、

               ( 12人揃うことは、、

 

 

 

    さて、その「マリア」の死亡した場所が、先回も登場した「エフェソス」、、

           (エルサレム説もありますが、、

 

      

 

         位置関係のため地図を付けてみますが、

 

         たとえば、紀元1年頃の都市人口

 

            ローマ      100万

            ベルガモン    16万

            エフェソス     20万

            アンティオキア   27万

            エルサレム     10万

            アレキサンドリア   40万

     

                というデータもあります、、

 

    そのエフェソスで亡くなった、聖母マリア、、

    彼女についての記録は当初あまりにも少なく、、

    新約聖書のなかの、キリストの言動を示した4つの福音書、

 

            マルコ  紀元65−80頃成立  ローマにて執筆?

            マタイ  85年頃(70-90)    パレスチナかシリアにて?

            ルカ   1世紀から2世紀にかけて(70-90)  ギリシア?

            ヨハネ  1世紀末(90-120・130)   エフェソス

 

      その古くなればなるほどに、逆に記録は少なくなります、、

      本来父性重視のキリスト教で、彼女の存在は

      当初ほとんど顧みられませんでした、、

 

      たとえば、マルコ福音書には、イエスのこんな言葉が、、

        母がイエスを訪ねてきていると知らされた時、

        「私の母とはだれのことか」

        「神の御心を行うものは誰でも私の母なのである」

                   と答えています、、

 

      これが、最後のヨハネ福音書では、

      たとえば、カナの婚礼の場面で、イエスは最初の奇跡、

      水をワインに変えるということを行なっていますが

      これを指図したのがマリアという設定、、

      そしてイエスの受難(最後)にも立ち会っています、、

 

                 、、、、

 

 

    話をすこし飛ばしますが、

    古代世界の七不思議というものがあります、、

 

           ギザの大ピラミッド

           バビロンの空中庭園

           エフェソスのアルテミス神殿

           オリンピアのゼウス像

           ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

           ロードス島の巨像

           アレキサンドリアの大灯台

 

               いくつかすでに登場したものもありますが、

 

      エフェソスのアルテミス神殿

 

       先回登場しましたアルテミドロス、

       そのうちの二人がエフェソス出身でしたが、

       そもそも、エフェソスのいわゆるご当地神様がアルテミスで、

       今はほとんど残っていませんが、そこには巨大神殿が建てられていました、、

 

            諸説あるようですが、あのプリニウスによると、

            神殿広さは、縦115m、横55m、  

              高さ18mの巨大柱が127本も林立した神殿であったとか、、

          

               ちなみにアテネのパルテノン神殿

               縦、69.5m 横、30.9m 円柱高さ、10.4m

 

 

    そのエフェソスで1956年、ある像が発掘されました、、

  

       

         豊穣の女神(地母神)としてのアルテミス像です、

         、、胸部にはたくさんの乳房、、

         現在は同地の考古博物館に展示されています、、

 

   

    さて、この地へキリスト教が伝播した当初、、

    あのパウロが当地の偶像崇拝を攻撃した際には、

    人々の「大いなるかな、エフェソス人のアルテミス」と叫びながらの暴動

    にあって苦心しています、、

 

       パウロ自身、母マリアにはほとんど言及せず、

       たった一度だけ、その手紙になかで、

       「神は御子を女からうまれさせ、、」と書いています、

                 、、、、

 

    しかし、後に、聖母マリア信仰をアルテミス女神に代わるものとして、

    位置づけることによって、ようやくキリスト教が広まってゆきます、、

 

    ただ、そんな経緯からか、やがて聖母マリア信仰も熱烈なものに変ってゆき、

    この地に、歴史上最初にマリアに捧げられた教会も建てられ、

    その教会で、431年には公会議が開催されて、、

    マリアを神の母(テオトコス)として、教義上の取決めも行っています、、

                   、、、、

 

       

       聖母マリアの存在がどんどんと大きくなってゆきます、、

 

 

      

       さて、はたして、彼女がこの地で亡くなったかどうか?

 

       付け加えれば彼女が住んだという?石造りの小さな家まで残っています、、

 

 

       もうひとつ加えておくなら、

       最初にあげたノートルダム大聖堂のあるフランス、

       1635年、ルイ13世はドイツ30年戦争に介入するにあたって、

       フランス王国を聖母マリアに捧げています、、

 

       この大聖堂祭壇奥に現在、ひざまずいて、聖母にフランスの王冠と王笏を

       差し出すルイ13世像が見られます、、

                       、、、、

 

 

           さても、すでによき時間、、

 

           「つづく」としておきましょうか、、

           今日はこのへんで、

 

 

 

 


歴史的夢占い

   こんばんは、
   「夢」のお話を続けようと思っているのですが、、
     まずは、6年ぶりに登場させます一枚の作品から、、
               (2010年9月記)
         

      1550年頃製作、
      「狩猟姿のディアナ」ルーブル美術館蔵
      6年前は作者不詳と書きましたが、
      ルカ・ペンニ(1500頃−56)という名が出てきています、
      彼、フィレンツェ生まれのイタリア人、、パリにて没、、

      その折にも書きましたか、、ディアナ 英語ではダイアナ、
      ローマ神話の神の名ですが、これをギリシア神話名で
      アルテミスといい、、狩猟・貞潔の女神、、後に月の神、、

    この神に授かった、という意味の名前が、アルテミドロス、、

             Artemidorus


    
この名前で調べてゆくとまずひとつの作品にあたりまして、

        
         何故にこんな形?と思っていると、、

         

      ミイラ・ケース、大英博物館蔵、紀元100〜150年頃?
      ローマ時代入ってからのものです、、材はシナノキ
      20歳過ぎに亡くなった若者のミイラ、
         死因は不明?ただ頭蓋骨に陥没があるとか、

      ケースには、「アルテミドロス、さらば」と
      ギリシア語で書かれていると、、
              、、、、




    
  
   次に登場するのが、エフェソス生まれのひと、紀元前2世紀末頃の同名人物、

   ギリシア人地誌学者で地中海・黒海沿岸を旅し記録を残しています、
   上は、そのパピルス、、イタリア・トリノの、ある宮殿博物館所蔵とか、、
   後の人々の引用からのみ、その著作を知ることができないような実情、
                、、、、



   そして、もう一人のアルテミドロス
   彼は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に登場しますが、、
   その第2幕、第3場、、

          アーテミドーラス(英語読み)、紙片を読みながら登場

       『シーザーよブルータスに要警戒、キャシアスに要注意。キャッスカからは
       離れろ。シナにも注意。トレポーニアスは信用するな。メテラス・シンバー
       これも要注意。ディシャス・ブルータスは汝を愛せず、ケイアス、リゲイアス
       には、汝、非道をなしたるはず。彼らは完全に一心、ひたすらシーザーを
       狙いおれり。汝、もし不死の身ならずば、身辺の警戒を怠るなかれ。油断は
       禁物、陰謀に道を開くのみ。
       偉大な神々の加護、汝の上にあらんことを!汝の味方、アーテミドーラス。』
       
       シーザーが通るまで、ここで待つことにしよう、
       そして訴願人の体でこれを手渡すのだ。
       有徳の士も嫉妬の毒牙だけは免れぬかと思うと、
       私の胸はいたむ。ああ、シーザーよ、
       これさえ読めば、君の生命は無事だが、
       さもなくば、運命の神も反逆人の一味ということか。

            そして、次の第3幕、、

       アーテミドーラス  シーザーさま、万歳!この書面をお読みください。
       ディシアス  トレポーニアスからお願いがございます、恐れながら
          この請願状を、なるべく早くお読みくださいますよう。
       アーテミドーラス  ああ、シーザーさま、どうか私のを先に。お身の上に
          ついて、より緊急な請願でございますゆえ。お読みください、ぜひとも。
       シーザー  わが一身に関するものとあれば、それは最後だ。
       アーテミドーラス  一刻の猶予もなりませぬ、即刻お読みくださるよう。
       シーザー  なに、こいつは狂人か?
       パブリアス           こら、さがれ、さがれ、


            シーザー暗殺の直前の場面です、


            ただ、これはシェイクスピアの創作ではなく、、
            プルタルコス「英雄伝」に

       また、クニドス生まれのアルテミドロスという人は、ギリシアの学問の
       教師でありブルートゥスの仲間の幾人かと親しくなっていた。それで
       陰謀計画の大要を知っていたので、密告しようと思って、そのことを書状に
       記して彼の所にもってきた。ところが、カエサルが方々からきた書類の
       一つ一つを受け取っては自分の傍らの召使に手渡しているのをみて、
       つかつかとそばに近づいて、「カエサルよ、これをおひとりで早くお読み
       ください。あなたに関係のあるすこぶる重大なことについて書いてある
       のですから」といった。
       そこでカエサルはそれを受けとって、幾度となく読もうとしたが、彼に会いに
       きている人が多いためにそうするのが妨げられ、そのためこの書状一本だけ
       を手に大事に持ったまま元老院議場に入っていった。
       もっとも別に説をなすものがいて、その手紙を渡したのは別人で、
       アルテミドロスはまったく彼に近づくこともできず、来る途中ずっと人に
       阻まれていた、という人もある。


            以上、3人目のアルテミドロスでした、、


    
    さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ本命のアルテミドロス、
    先回のブログでの、たくさんの人物列記のなかの、ひとり、、

            ダルディスのアルテミドロス

   
小アジアのダルディスが、地中海沿岸エフェソスから内陸に入ったところで、
   この人も、エフェソスで生まれ活躍したところから、すこし紛らわしく、
   「エフェソスのアルテミドロス」と呼ばれたりもしていますが、、

   2世紀頃に活躍、彼の残っている著作が「夢判断の書(Oneirokritika)」
            ギリシア語で書かれています、
   10世紀頃に東ローマ帝国で編纂されたスーダ辞典(3万語に及ぶ辞典)に
   その記述があり、この作品のほかに「鳥占い」や「手相占い」の本もあった
   ようですが、現在は失われてしまっています、、

   さてこの「夢判断の書」、ヨーロッパに広まっていったのは、
   活版印刷が始まって、ヴェネツィアでアルディネ版(ギリシア語)が
   出版され(1518年)てから後、、
            
                

    その同年、スイス・バーゼルでラテン語版が出版され、
    このラテン語版から、1546年には、フランス語、
    1549年にはイタリア語に翻訳され、
    1603年には、パリで再度ギリシア語原文が出版、、
    1864年、65年には、それぞれ別の研究者がギリシア語校訂版を出版、
    1881年にはドイツ語版が出て、、、
    1975年には、英語版が、、
    そして、わが日本語翻訳が1994年、、

    それに加えて、イスラム世界にも翻訳されていまして、
    9世紀?に、フナイン・イブン・イスハークがアラビア語に、
    しかしこの原文は長く見つかっていませんでした、
       その存在が知られていたのは、
       10世紀、イブン・アンナディームの「フィフリスト」という
       図書目録のような著書によって、、
       これが、1872年にドイツ人フリューゲルによって翻訳され、
       一般に知られることに、、

    そして、その実際の書物が、1959年、
    ストラスブール大学教授のアラブ人学者によって、
    イスタンブール大学図書館で発見され、
       (もとはスルタン・アブデュル・ハミト2世の所有、
              オスマン帝国皇帝(1842-1918)
    1964年にフランスの援助を受けて、ダマスカスで刊行、、
             、、、、

     
     さても、それほど、人々の心を摑んでいたのでしょう、
     近現代まで、民間の夢判断のバイブルのような存在だったとも、
    
             

          こちらは、ある英語版のジャケット、
     
         、、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光、、
              、、、、




    さてさて、4人のアルテミドロスの出そろったところで、、                 
    再び、、最初の「アルテミドロスよ、さらば」となりますか、



         今日はこのへんで、
 

夢占い フランス・ルネサンス 

   こんばんは、
   「夢」のお話を続けますが、、

      今日は一冊の本のあるジャケットから、、

        

                 「ガルガンチュア」(1534年)

      フランソワ・ラブレー(1483頃-1553)著
        ラブレー、フランス・ルネサンス最大の人文主義者のひとり
        彼が書いた荒唐無稽物語(巨人が主人公)
          ジャケットにあるように、ひとをくった、
          とんでもないものでもありまして、、

        シリーズ全5冊ああり、 
        ラブレーの死まで書き続けられています、
        5冊目は死後1564年出版、そのため偽書説もありますが、、

        1543年には、その社会的権威へ風刺等から、
        パリ大学の禁書目録に登録されてしまいます、
        このとき2冊目をすでに出版していましたが、
        作者名を本名のアナグラム偽名で書いていました、
          François Rabelais 
          これを、アルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)として、

        当時彼はリヨン市立慈善病院の医師として働き始めていましたし、
        それまでに、ギリシアの医学書をラテン語からではなく本来の 
        ギリシア語から講義しており、、先回のヘロドトス「歴史」も
        ラテン語翻訳を試みたりもしていました、、

        それゆえ?シリーズ3冊目は当の本名で出版(1546年)、
        国王フランソワ1世の「特認」も得て、出しますが、
        残念ながら再度禁書目録に掲載されてしまいます、、
                 、、、、


      たとえば4年ぶりの登場?、
        ギュスターブ・ドレ(1832−1888)の挿絵には、

       

            幼児期のパンタギュルエル(ガルガンチュアの息子)
            の食事風景

 
    さて、そのシリーズ3作目、
    「第3の書 パンタグリュエル物語」13章にこんな記述が、、

      「さて、ウェルギリウス占いに出たところでは意見が一致せぬようだから、
      もっと別な占い法でやることのしよう。
      
      歴とした、由緒ある、正真正銘の占いだな。夢占いだ。
      そもそも、「夢について」におけるヒポクラテス、プラトン、
      プロティノス、
イヤンブリクス、シネシウス、アリストテレス、
      クセノポン、ガレノス、
プルタルコス、ダルディスのアルテミドロス、
      ヘロピウス、
クイントゥス・カラベール、テオクリトス、プリニウス、
      アテナイオス
及びその他の人々が記述している通りの状態で夢を見ると、
      霊魂は未来のことどもを度々予見いたすものだからだ。

      つまり嬰児が体を綺麗に拭ってもらい、腹いっぱいに乳を飲んで
      ぐっすりと眠ってしまうと、乳母たちは、揺り籠の側についていても
      用がないというわけで、今こそ好き勝手に振舞える時間だとばかりに
      のうのうとして、遊びにいってしまうものだ。
      これと同じように、我々の霊魂も、肉体が眠り込み体内諸器官の
      消化作用も完全に終わっていれば、眼が醒める時まで控えている
      必要も全くなくなるから、逍遥遊を試み、その生まれ故郷、即ち
      天界を再び訪れるわけだ。

      この天界から、霊魂は、その最初の聖なる始原の姿を明らかに
      啓示せしめられるのだ。そして、いかなることも突発せず、
      いかなることも生起せず、いかなるものも荒廃せず、一切の時間が
      現在し、その中心は宇宙の各地点にあって、その円周は全く存在せぬ
      という、無限なる理念の天球(これは、ヘルメス・トリスメギストス
      教義に従えば、神のことだが) こういう天球を、霊魂が観照してるうちに
      下層部運動としての過去の事象のみならず、未来の事象をも認知
      するように相成る。

      
   夢占いに関しての文章、、
   よくもまあ、これだけ人物名を並べたもの、、と思うのですが、、

           ウェルギリウス(BC,70-19)

           ヒポクラテス(BC,460-370頃)
           プラトン(BC,427-347)
           プロティノス(205?-270)
           イヤンブリクス(245-325)
           シネシウス(373-414)
           アリストテレス(BC,384-322)
           クセノポン(BC,427-355?)
           ガレノス(129-200頃)
           プルタルコス(48?-127頃)
           ダルディスのアルテミドロス(2世紀)
           ヘロピウス(??)
           クイントス・カラベール(??)
           テオクリトス(BC,318?-270?)
           プリニウス(23-79)
           アテナイオス(200年頃)

       それも、古代世界の人物ばかり、
       それゆえの?、、文芸復興、、
       (ひとりひとり、もう少ししっかりと観てゆけばよいのでしょうが、、
               、、、、


    さて、この上の文章の、すこし後に、こんなことも付け加えています、

      古代の占術師のアンピアラオスは夢によって託宣を受けんとする者は
      当日何も食べず、さらに3日前から葡萄酒を飲まぬようにせよと、
      申しておった、、、     


        
    そもそも、この一連のくだり、
    成人して騎士となったパンタグリュエルの、従僕の結婚の未来を、
    その本人の見る夢によって占おうというもの、、
    その従僕に、パンタグリュエルはこうも忠告します、、


      されば、明日、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光(アウロラ)が夜陰を
      追い払う時刻に、深い眠りに入って存分に夢を見てみるがよい。
      さりながら、一切の人間の情念、即ち、愛欲、憎悪、希望、恐怖から
      脱却いたし居らねばならぬぞ、、、

                    、、、、


        さてさて、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光(アウロラ)の時は
        とうに過ぎ、、当のわたくしは残念ながら、

            愛欲、憎悪、希望、恐怖にまみれてしまっていますが、


            今日はこのへんで、、



 

放尿の夢 ヘロドトス「歴史」

   こんばんは、
   「夢」をもうすこし続けます、、

     まずは、大英博物館所蔵の作品から、、
      

      1879年にバビロンの神殿跡から発見されたもの、、
      発見者は、大英博物館から依頼を受けていたホルムズド・ラッサムという
      イラク国籍のキリスト教アッシリア人、

        

      アッカド語楔形文字がぎっしりと刻み込まれています、、
         大きさは22.5×10cmほど、
         35行あるようで、最初の3行は破損により判読不能、、
      通称「キュロス・シリンダー」(BC.539〜530製作)
      アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世(BC.600-529)の功績
      が書かれています、、

      その記述が、旧約聖書のバビロン捕囚からの解放と符合するため、
      聖書記述の、歴史的事実としての一面を浮かび上がらせています、、
                   、、、、


    さてそのキュロス2世、彼、生まれる前から、逸話がありまして、、

    それは、ヘロドトス(BC,485頃-420頃)「歴史」からですが、

       (そもそも、日本語の「歴史」という言葉が良く使われだしたのは、
       明治時代になってから、、いうなれば非常に新しい翻訳語です、、
        江戸時代から辞書には見え、柳多留(川柳)なんかにも出たりしても
        いるようですが、、あまり使われていなかったような??

        「史」という言葉は、古くからあり、
        もともとは天体の運行を計算して、暦をつくる人を「史」と言ったようで、
        古代、暦をつくることは最も神聖なつとめであり、、それにともなって
        年月にかかわる記録も管理していたので、、
        それが「歴史」につながって、、、


      ただし、本来のギリシア語は ἱστορίαι
         その意味は、知りえたこと、とか、探求して学んだこと、、、


    
    彼は、こんなふうに「歴史」を書き始めています、、

       本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が
       時の移ろうとともに忘り去られ、ギリシア人や異邦人(バルバロイ)の
       果たした偉大な驚嘆ずき事蹟の数々――とりわけて両者がいかなる
       原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に
       知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べた。


         彼は古代世界にも関わらず、大旅行をしていたようで、
         東はバビロン、西はリビア、南はナイル上流アスワン、
         北に関しては、黒海北岸ギリシア植民地オルビアを中心に
         クリミア半島、ウクライナ南部あたりまで、、


         彼を「歴史の父」と呼び始めたのは、
         すこし前に登場したキケロから、とも言われています、、




    さてさて、長い前い前置きはこれくらいにして、、「夢の話」、、

    その第一巻 107章に、

       キュアクサレスの子アステュアゲスが王位を継いだ。
       アステュアゲスにマンダネ(キュロスの母)という娘があったが、
       ある時彼は、この娘が放尿して町中に溢れ、さらにアジア全土に
       氾濫するという夢をみた。
       彼はマゴスの夢占いの係りの者にこの夢を話し、彼らから夢の
       意味を子細にきいて驚愕したのである。
       それでアスチュアゲスは娘が年頃になった時、その夢に対する
       危惧から、自分の地位に釣り合うようなメディア人からは婿を
       選ばず、カンビュセスという名のペルシャ人に娘を与えたのである。
       この男は家柄もよく性質もおとなしく、しかもメディアの中流よりは
       ずっと低い地位にあると考えたからである。

       ところがマンダネがカンビュセスに嫁いだ最初の年に、
       アスチュアゲスはまた夢をみた。
       この娘の陰部から一本の葡萄の樹が生え、その樹がアジア全土を
       蔽ったという夢である。彼はこんな夢をみて、その夢を夢占いの者
       たちに伝えてから、既に妊娠中の娘をペルシアから呼び寄せ、
       やってきた娘を厳重に監視させた。娘から生まれてくる子供を
       殺すつもりであったのである。というのは、夢占い係りの者たちが、
       彼の娘の生む子が、やがて彼に代って王になるはずだと告げた
       からであった。


         こんな風に続いてゆきます、、

         王は、側近の最も忠実な人間に生まれた子を殺すよう指示します、
         そして、その人物は、それを自分の牛飼いに命じますが、
         たまたまその時に妊娠していたその妻の子が死産になって、
         その死んだ子と、預かった子をすりかえ、自らの子として育てます、、

         牛飼いの子として大きくなってゆきますが、おのずと
         高い能力を持ち、10歳になった頃にはその評判がアスチュアゲス王
         まで届いてしまい、、、


         さてさて、つづきが気になる方はどうぞ「歴史」を、、



         
            よき時間になってきました、、

            夢はまだつづくのでしょうか、、


            今日はこのへんで、

    



     
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