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人質として、、カンテミール

   こんばんは、
  蜘蛛の糸をたぐり寄せるように、、始めてみましょう、、

    まずは一枚の肖像画から、、

          

      いっぷう変わった?イデタチ、
      髪型に関しては17世紀頃のヨーロッパ風、
      しかし服装は、アラビア・オスマン風です、
      頭上にはカラフルなターバンが、、、

      この作品を所蔵しているのは、フランス北部の町の、

             ルーアン美術館

         セーヌ川が流れ込むセーヌ湾から40キロほど?
         溯ったところの街、
         あのジャンヌ・ダルクが処刑された街です、

      残念ながら作者もわからず、描かれた時も
      明確ではないようですが、、、



      この描かれた人物、ロシアの紙幣にも、

    

     2000年につくられたロシア、100ルーブル紙幣
     そこそこイケメンに描かれています、、


  さて、この人物、
  先回ブログにすこしだけ登場しました、カンテミール(1673-1723)、、
  ウィキペディアではすこし紹介されていますが、
  国内書籍のなかでは、ほとんど登場しない人物、

  今回オスマン・コンスタンチノープル関係に触れるにあたって、
  さてそれでも30冊くらいはパラパラしたでしょうか、
  そのなかで現れたのはたった1冊のみ、

     その本は、
        
         E・ギボン 「ローマ帝国衰亡史」

     先回の詩作品、、

         いまや蜘蛛が‥‥

     
これにギボン自身が付けた注釈が、、

       「カンテミールが原語で引用しているこの詩行は、
       このような適用によって新しい美を発揮する。
       スキピオがカルタゴの陥落に際してホメロスの有名な
       予言を口ずさんだのもこのような状況であった。
       同じ寛大な気持ちが征服者の心を過去もしくは未来に
       向けたのである。」


       ちなみにそのホメロス「イリアス」のなかの言葉、
 
         「聖なるトロイヤの都もやがて滅びる日がきたらん、、

       、、スキピオは未来におけるローマの滅亡を思ったと、、、



   さて、そのギボン、何度かこの著述の中でカンテミールを
   登場させていますが、
   彼をオスマン帝国の史家と位置付けています、、

   しかし、実際はそう簡単なものでもなさそうで、、、


         そもそも、彼、生まれは、モルダヴィア(現ルーマニア)フシ南部
     (現在この地、彼の名前そのもの、ディミトリエ・カンテミール、という
      地名になっています、、
     
     父親はその地のお殿様、モルダヴィア公、その次男坊、、
     15歳まで、そのフシで教育を受けていますが、
     1688年、イスタンブールへ、
      以降1710年まで滞在(22年間)、実質的に人質であったとも、、
         (ある説によると1700年当時イスタンブールは
         70万の人口を抱える世界最大都市、、
            ちなみに2位は我が江戸、、

          

       この地図、何時の時代のものか判然としませんが、
        (あれあれ、ギリシアが独立していますね、
         ということは比較的新しい、、
         この頃はまだ独立いしていません、、

       ご覧のように、大国の間に挟まれた小国、
       、、人質生活もいたしかたない状況、、


   彼は、しかし、かなりな秀才であったようで、
   その操れる言語は、

     ルーマニア語、ラテン語、ギリシア語、トルコ語、ペルシア語
     ロシア語、スロヴェニア語、ハンガリー語、ドイツ語、
     それに、フランス語、イタリア語、、、

    オスマン帝国スルタンにも可愛がられ、、
    多くの著述も残してゆきます、、

       ちなみに、彼の肩書、、
       哲学者、作家、音楽家、言語学者、民俗学者、地理学者、、
          と書かれています、、


   しかし、1710年、転機が、、
   兄が亡くなり、自らが殿様に、、
   自国に帰ったまでは良かったのですが、
   翌1711年、ロシアとオスマンが交戦状態に、、
   彼は、ピョートル大帝のロシア側に寝返りますが、
   ロシアはオスマン帝国に破れ、結果、祖国を離れる憂き目をみます、、
   その後は、ロシア貴族(公爵)・宮廷顧問官としての亡命生活、、
   そして、1723年にウクライナ・ハリコフにて死亡、、

     ギボンが触れた彼の著作、「オスマン帝国の勃興と衰退」は
     ロシアに移ってから書かれましたが(ラテン語で)
     オスマンに関する唯一の貴重な資料として、
     1734年には英語訳が、1743年にはフランス語訳が出て、
     広く人々に読まれます、、
            、、、、


   そして、彼のもうひとつのユニークさ、
   音楽家・作曲家としても活躍し、 
   自作40曲を含む、400曲ほどのオスマン古典音楽を採譜しています、、
   その方法が、アラビア文字を利用した、文字による楽譜というもの、

     それをトルコ語で表し、時のスルタンに献呈しますが、
     題して「文字による音楽の知識の書」、、、


     さて、その楽曲を再現するという律儀な人がいまして、、
         
                CDがでているから面白い、、
         、、聖ソフィア寺院が美しく描かれています、、
      、、時にイスラム音楽にふれるのも、良いかもしれません、、

    

                オスマン宮廷楽団

    
   


         最後に、もう一枚画像を付け加えるなら、、
   
             

              1973年のソビエト切手、、
                イギリスで英訳本が出た際に、
                掲載されていた彼の肖像画をもとに
                つくられています、、


    
     残念ながら、どうしてここまで彼がクローズアップされるのか、
     いまだ判然としないのですが、、

      、、そういえば、最近? EU指導のもとで? イスタンブールの
      彼の住居だったところが博物館?になるとか、、
                ??



        さてさて、ほとんど何も無い資料のなかから、
        蜘蛛の糸のように、細く、切れ切れに、書いてみました、、

        
       いまや 蜘蛛が皇帝の宮殿のとばりを守り、、



             
今日はこのへんで、
          
      

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  • 2017.10.04 Wednesday
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  • 07:03
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  • 2015/04/02 7:28 AM
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