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昭和天皇の孤独

   こんばんは、
  まだすこし続けます、、

    まずは一通の手紙から、
    書かれたのは、昭和20年9月9日、、

    「手紙をありがとう しっかりした精神をもって 元気で居ることを
    聞いて 喜んでいます
    国家は多事であるが 私は丈夫でいるから安心してください
    今度のような決心をしなければならない事情を早く話せば
    よかったけれど 先生とあまりにちがったことをいうことになるので
    ひかえて居ったことを ゆるしてくれ 敗因について一言いわしてくれ
    
    我が国人が あまりに皇国を信じすぎて 英米をあなどったことである
    我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである

    明治天皇の時には 山県(有朋) 大山(巌) 山本(権兵衛)等の如き
    陸海軍の名将があったが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の
    独軍の如く 軍人がバッコして大局を考えず 進むを知って 退くことを
    知らなかったからです
    
    戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民も殺さなければ
    ならなくなったので 涙をのんで 国民の種をのこすべく
    つとめたのである

    穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があったら
    きいてくれ

    寒くなるから 心体を大切に勉強なさい」


  この手紙をもらっているのは、まだ11歳の、現平成天皇、、
  つまり、昭和天皇によって書かれたものです、、

    この手紙の後、9月27日には、天皇、単身で、アメリカ大使館に
    マッカーサー元帥を訪ねています、、
                           、、、、




  これを溯ること24年、大正10年
  まだ19歳の、(昭和天皇)、皇太子・裕仁親王は、
  6ヶ月間に渡り、ヨーロッパ外遊の旅に出ます、 
     乗船したのは、戦艦「香取」、随艦「鹿島」を伴って、
     この2艦船は、英国製造のもの、

     3月3日出発、
     エジプトにも寄航し、ピラミッド・スフィンクスも見られています、
     5月をイギリス各地で過ごし、

       イギリスでは最優遇され
       到着の日の夜はバッキンガム宮殿で500人の出席者による
       晩餐会が開かれ、
       国王ジョージ5世は日本の若い皇太子に向け父親のような感情を
       持ちながら言葉を述べます、、

       「第一次世界大戦が終わってからまだ日も浅く、
       イギリスはまだ充分に立ち直っているとはいえず、
       国民生活も疲弊している、
       そのような状況を見てもらうのは心苦しいが、
       しかし、イギリスの実情を見ていただくのに、
       今ほど良いときはないかもしれない、
       戦争というものは、勝者にも過酷な運命を要求することを
       見聞を通じてご理解いただけるのだから、、、
              、、、


       これに皇太子は答えて、

       「訪問の時機に関する陛下のお言葉については、まことに
       感謝に堪えません、(中略)
       英国国民が国歩艱難の時に当たって、
       尚よく勇気と忍耐をもって、節制の精神及び常識を養い、
       よくこれを凌ぐのは、実に感嘆するところであります、
       予は現下の問題が単に一つの片雲に過ぎずして、
       たちまち一過、かえって光風霽月(せいげつ)を観るに
       至らんことを切望致します、、、


         この言葉が、
         英国民が東洋の果てからやってきた皇太子に
         素朴な信頼を寄せ始めるきっかけになります、

         誰と接するにも謙虚な態度をつらぬき、
         臆することなく公式の場でも挨拶の出来る能力を
         称える新聞記事も多くなってゆきます、、
               、、、、

     
                ジョージ5世と


     31日にはパリ到着(しかしフランス訪問は非公式)
     その後、ベルギー・オランダを訪問し、
     6月25日には、フランス北東部、ヴェルダン、
     第一次世界大戦、最大の激戦地、
       死傷者数、ドイツ軍33万、フランス軍36万、という場所
       戦後2年半を経ても、廃墟のまま、
       毒ガスの影響がまだ収まっていない状態、、

       裕仁親王はイギリス王ジョージ5世から世界大戦の
       戦跡視察を薦められていました、
     
       
     皇太子は、帰朝後、原首相を通して声明を出しています、

       「大戦の跡を尋ね、惨憺たる光景、歴々猶存するを目撃して
       世界平和の切要なるを感じ、(中略)
       大戦の教訓今猶鮮明なる時期において見学の目的を
       遂げたることを喜ぶ、、、
              、、、、



    しかし、その意に反して、、
    昭和12年、日中戦争は始まってしまい、、

    昭和16年、7月2日の御前会議では
            「対英米戦を辞せず」となり、
            9月6日の会議、

      「対米戦争を辞せざる決意の下におおむね、10月下旬を
      目途とし戦争準備を完整す、、、
      外交交渉により、10月上旬頃に至るも尚我が要求を
      貫徹しえる目途なき場合においては、ただちに対米(英蘭)
      開戦を決意す」   となってしまいます、、

      しかし、その会議の終わりちかくに、天皇は、
      明治天皇の歌、

        よもの海みなはらからと思ふ世に 
                 など波風のたちさわぐらむ


      と読み上げられ、
      「常にこの御製を拝謡して、故大帝(明治帝)の平和愛好の
      御精神をを紹述せんと努めているものである」
      と述べられます、、
      この言葉に、しばらくは誰も発言できなくなり、
      その後、外交努力を主とするとして、会議は散会、、


    しかし、11月5日会議、
      「外交手段による交渉不成立の場合は、開戦とする」
             となり、

    12月1日、ハル・ノートを突きつけられ、
      「8日、開戦と決す」
               、、、、、




       さてさて、すでに良き時間、、
       、おはようございます、

       、、ここのところ、この時間が思うようにならず、、

          、、、、


       今日はこのへんで、、

         
 

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  • 2017.10.04 Wednesday
  • -
  • 06:04
  • -
  • -
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  • by スポンサードリンク

コメント
初めまして。
Hiikichiという名前で拙いBLOGを書かせて頂いている者です。
昭和天皇陛下の戦前のエピソード、とても為になりました。素晴らしいお話と読みやすい文章で、感服致しました。
勝手ながらコメント寄せさせて頂きました。
  • Hiikichi
  • 2015/10/02 10:06 AM
コメント有難うございます。

完璧に孤独な作業ゆえ、お言葉を頂くと、大変励みになります。
、、いつも思っているのは、対象に寄り添うように頌歌・ほめうたを書くこと、、
   寄り添うように、ほめ歌を書くこと、、
    、、、、


有難うございました。


  • すみれ
  • 2015/10/04 9:56 AM
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