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ヴァチカンの囚人

   こんばんは、

   すこし話を続けていこうと思っていますが、

   最近、このブログページ、とんとアクセス回数が減少していまして、

   コピーされているページに完敗している状態です、、

   しかし、トータルの数字で考えれば、あまり変化していないのかもしれません、、

      読まれる方としては、どのページでアクセスしても関係ないわけですから、、

      まあ、しっかり内容を充実させることを、考えていれば良いのでしょう、、

             、、、、

 

   というわけで、まずは再登場の教会聖堂から入っていきます、、

 

      

     

      ローマ、 サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂

            (写真はウィキペディアより)

        2010年7月頃にすこし触れました、、

    全世界の聖母マリアに捧げられた教会のトップにあるような存在です、、

 

    この建物の、、祭壇の前に、、

 

      

                photo: Aleksandr Reznik

 

        半地下のようになったところ

        祭壇に向けて手を合わせている画面下の石像、、

        先回登場しました、ピウス9世です、

        (1792-1878、教皇在位1846-1878)

 

    聖母マリアの無原罪の御宿り(マリアが母アンナの胎内に宿った時から

    原罪を免れていたとする)を取決めた人、、

    、、マリアに捧げられた教会の祭壇に向け祈っているわけですが、、

 

 

    ピウス9世、「宗教の近代化問題」と、まともにぶちあたった人、

    そもそも領有していた、ローマ教皇領を最終的にすべて失ってしまった人、、

 

       1870年9月19日、イタリア王国軍はアウレりアヌス城壁に到着

           ローマは完全に包囲され、教皇配下の兵士たちは抵抗したものの

           翌20日にはピア門から市内に入場します、、

       10月2日、ローマでイタリア王国への合併を問う住民投票が行われ、

       9日イタリア王国にローマは併合されます、

       翌71年7月2日、イタリア王国首都はフィレンツェからローマに遷都、、

 

 

         ピウス9世、当初教皇に選ばれた時点では、

         イタリアをはじめ、全ヨーロッパ的に大人気を博していました、

         (その、前任教皇と比較しての自由主義的傾向のため、)

         しかし、イタリア本土の共和国化と、対オーストリア戦争に反対の立場を

         とったため、一挙に支持は落下、、苦しい立場に立たされます、、

 

 

       併合後は、イタリア政府から、ヴァチカンのみの領有を勧められますが、

       それをも断って、イタリア王国と断交、対立の立場を貫きます、、

 

 

    先回も少し触れました、1870年第一回ヴァチカン公会議で採決された、

    「ローマ法王の無謬性」と書きましたが、

    正式には「教皇首位説と教皇不可謬説」、、この採決が1870年7月

       教皇不可謬説:信仰および道徳に関する事柄について教皇座から

       厳かに宣言する場合、その決定は精霊の導きに基づくものとなるため、

       正しく決して誤りえない、というもの、

 

 

    ローマ併合後は、自らを「ヴァチカンの囚人」と名のり、

    国王や政府役人を破門に処し、カトリック信徒の政治(選挙等)参加を禁じる教令

    「ノン・エクスペディット」を出したりもします、、

 

    そんな教皇、 

    1878年2月7日死去、

    その不人気さゆえ、葬儀は延ばされて3年後の7月12日に行われますが、

    反感を持つ人々によって、葬列に泥を投げ込まれ、危うく棺をテヴェレ川に

    投げ込まれようとまでされます、、

              、、、、

 

 

      さて、そのお墓ですが、、自らの意志により、、

 

       

                                     photo:The Benedict Forum

 

      ヴァチカンの地下墓ではなく、

      こちらも再登場、サン・ロレンツォ・レ・ムーラ教会に納められています、

      自らを、虐殺された殉教聖者ラウレンティウスにたとえての行為とか、、

                      (2010年7月記)

        

 

    

      ひとつ補足するなら、この教皇、秀吉により長崎で殉教した26人を

      列聖した人でもあります、

               (1862年、文久2年のこと)

 

 

      もう一つ付け加えておきましょうか、

      このピウス9世、その在位期間が31年7か月間になりますが、

      この数字、歴史上の最長記録になります、、

         ちなみに、逆の最短期間記録は、13日間、というウルバヌス7世

         (1521−1590)、この1590年の9月15日から27日までの在位、

         69歳で亡くなっていますが、教皇になるのが遅すぎた?

         といいますか、、死因はあのマラリア、、

           (マラリアについては2012.5.18に触れています)

  

       在位期間は長くなっていますが、世俗の世界に深く絶望し、

       おそらくは心鎮まることのない日々だったとも思われます、、

 

      

                  

                     Terri Batler photography

 

 

          さてさて、とりとめもなく書いてしまいました、、

          それでは、今日はこのへんで、、

 

 

              参考文献:

                松本佐保「バチカン近現代史」中公新書

              先回から引き続くものとして、、

                竹下節子「聖者の宇宙」中公新書

                    「聖母マリア」講談社選書メチエ

                植田重雄「聖母マリア」岩波新書

                山形孝夫「聖母マリア崇拝の謎」河出ブックス

              

                ミシェル・フイエ「キリスト教シンボル事典」白水社

                柳宗玄・中森義宗編「キリスト教美術図典」吉川弘文館

                        ほか

  

 

 

 


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  • 2017.10.04 Wednesday
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