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ペスト 死の勝利

   こんばんは

   今回はまずシチリア島パレルモ州立美術館にあるフレスコ画から始めます、

 

    

               from: LA BOTTEGA DEL PITTORE

 

 

                    from: wikipedia 

     15世紀半ば頃描かれたようですが、作者は(諸説あって)不明、

     大きな作品で、600×642cm  人物がほぼ等身大で描かれ、

     「死の勝利」と題されています、

 

      中央、腰に矢と大鎌を帯び、左手に弓をもち、今まさにその矢を放ったという

      姿勢の死神?

 

      画面右上、まだ死の馬が至らない場所では音楽士などが登場して、

      命の象徴でもある泉(噴水)も見え、生の享受が描かれていますが、

      その下には、いましも死の矢を受けたばかりの人々が、

 

 

     

 

      馬の腹の下には、矢を受け死した人びと、

      教皇や皇帝、枢機卿、聖職者、学者、錬金術師の姿も、、

 

     

 

        画面左下は、死者を悼む人々や、死神?に手を合わしている人が

 

               

 

        上部、こちらを向いている二人はこの作品の制作者とも、、

 

 

 

   ここで、ひとつの文学作品から引用してみましょう

 

    「言っておくが、まず、神の子が肉体に結実してから1348の歳月を数えた時のこと、

    イタリアの美しい町々のなかにあってもひときわ秀でた花の都フィレンツェに、

    死の疫病ペストが襲いかかってきた。

    天の球体の運行のなせるわざか、あるいは私たちの罪業に怒りを覚えて神が

    死すべき人間たちに正義の裁きを下されたためか、その数年前に東方の各地に

    発生して、かの地において無数の人々の命を奪い、とどまるところを知らぬ勢いで、

    つぎつぎにその行き先を変え、やがては恐ろしいことに西洋へ向かって、それは

    ひろがってきた。

    これに対して人間の側にはろくな才知もなく、何の予防も甲斐がなく、もとより

    都市は特別の係官を任命して、彼らの手ですべての汚物を浄めたり、城壁の

    内部へ一切の患者の立ち入りを禁止したり、衛生を保つためのありとあらゆる

    処置を講じたり、加えてまた敬虔な願も一再ならずかけられ、行列も整然と

    組まれて信心深い人びとの群れがひたすら神への祈りを捧げたが、それにも

    かかわらず、前述した年の春早くには、身の毛もよだつばかりの苦患の効果が

    現れはじめ、目を覆うばかりの惨状を呈しだした。

    (中略)病気の初期の段階でまず男女とも鼠蹊部と脇の下に一種の腫瘍を

    生じ、これが林檎大に腫れあがるものもあれば鶏卵大のものもあって、患者に

    よって症状に多少の差こそあれ、一般にはこれがペストの瘤と呼び習わされた。

    そしていま述べたように、身体の二箇所から、死のペストの瘤はたちまちに

    全身にひろがって吹きだしてきた。

    その後の症状については、黒や鉛色の斑点を生じ、腕や腿や身体の他の部分

    にも、それらがさまざまに現れて、患者によっては大きく数の少ない場合もあれば、

    小さくて数の多い場合もあった。

    こうしてまず最初にペストの瘤を生じ、未来の死が確実になった兆候として、

    やがて斑点が現れれば、それはもう死そのものを意味した。

            ボッカッチョ(1313-75) 「デカメロン」 河島英昭訳 

                                  講談社文芸文庫 

 

                     

   この作品の完成が1351-3年頃といいますが、

   ちょうど同じころ、1352年、このボッカッチョと友人でもあったペトラルカ(1304−74)が

   著した「凱旋」という作品(全6編)で、その3編目に、、

   1348年、ペトラルカの最愛の人ラウラをペストで失った悲しみを歌っています、、

   この作品がひとつの大きな契機となって、上の絵画のような死を扱った作品群が

   ヨーロッパじゅうに広がってゆきます、、

 

     (ちなみにボッカッチョ自身も、父親をペストで亡くしています、)

 

 

   この二人、、、 

   

                                                       from: PensArti

     フィレンツェ フィリッポ・カルドゥッチ(1449−1520)の別荘

     壁を飾っている有名人たち、、

     画面右端のふたり、、

 

       

                                                   from: wikipedia                 

           ペトラルカ(左)と ボッカッチョ

          その左横にはダンテがいますが、、

      現在このフレスコ画は取られて、ウフィツィ美術館に展示されています、

       (ちなみにこれを描いた画家カスターニョ(1421-57)も

        ペストで亡くなっています)

                  、、、、

 

 

   ペスト、、そのもっとも古い記述を挙げるなら、どうやら「聖書」に行きつくらしく、

          旧約聖書 「サムエル記」  紀元前11世紀頃成立

 

     「そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドと

     その領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。

     アシドドの人々は、このさまを見て言った、「イスラエルの神の箱を、われわれの

     所にとどめ置いてはならない。その神の手が、われわれと、われわれの神ダゴン

     の上にきびしく臨むからである、、、

 

        (イスラエルの神の箱は戦によってペリシテ人の手に奪われていました、、

         この箱は相談の上、金の腫物5つと金のねずみ5つとともに返還されます)

 

                      、、、、

 

 

 

   そして加えるなら、ペスト3大文学作品というものがあるようで、

   上のボッカッチョにつづいて、

     「ロビンソン・クルーソー」のデフォー(1660-1731)の「ペスト」

     A Journal of the Plague Year  1722年出版

 

     こんなふうに始まります、、

 

       それはたしか1664年の9月初旬のことであったと思う。たまたま隣近所の

       人たちと世間話をしている際に、私はふと、ペストがまたオランダにはやり

       だしたそうだ、という噂をちらっと耳にしたのだった。またはやりだした、と

       いうのは、その前年の1633年に、オランダは、この疫病のためひどい目に

       あっていたからである。ことにアムステルダムとロッテルダムはその中心地

       であった。なんでも、その時の話のようすでは、ある者は、その疫病はイタリア

       から入って来たといい、またある者は、いや、レヴァント地方から帰航した

       トルコ通いの商船隊で運ばれた貨物にくっついてはいって来たのだ、とも

       いった。いや、なにあれはカンディアからだという者もいたし、中には

       サイプラスからだという者もいた。

       しかし、どこから疫病がやってきたかはもう問題ではなかった。問題は、

       再び疫病がオランダにはやりだした、ということだった。これには誰も

       異存はなかった。

                        平井正穂訳 筑摩書房

 

      

     そして、アルベール・カミュ(1913-60) 「ペスト」 La Peste 1947年出版

     一連の前置きにつづいて、こう書きはじめられます、

 

       4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは診療室から出かけようとして、

       階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまづいた。咄嗟に、気にも留めず

       押しのけて、階段を降りた。しかし通りまで出て、その鼠がふだんいそうもない

       場所にいたという考えがふと浮かび、引っ返して門番に注意した。

                       宮崎嶺雄訳 新潮社

 

 

                  

                                                from:bol,com  オランダ語版

 

 

                     さてさて、よき時間になってまいりました、

          最後にデフォー「ペスト」の最後に書かれている詩篇を、、

 

 

              ロンドン疫癘(えきれい)に病みたり、

              時に1665年、

              鬼籍に入る者その数十万、

              されど、われ生きながらえてあり。

                        H・F・

 

 

            今日はこのへんで、、

        

 

              参考文献、先回からのものに続いて、

                世界美術の旅ガイド4、南イタリア、美術出版社

                小池寿子「屍体狩り」白水社

                村上陽一郎「ペスト大流行」岩波新書

 

    


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  • 2017.10.04 Wednesday
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