こんばんは。
いよいよ本題に入りますが、
まずあるお城の写真から
パリ西方70キロほどの場所にアネにある城です。
ディアーヌが十代で結婚してとついだ城、
そして、王亡き後の最晩年を過ごした場所です。
先日紹介しました、シュノンソー城はアンリ2世の死後、カトリーヌから返還を求められ、
変わりに、パリ東南東220キロほどのショーモン城を与えられますが、
短期滞在しただけで、
すぐにアネに移っています。
ショーモン城
アンリの死後、直ちにディアーヌは王からもらっていた主な宝石類に添えて、
カトリーヌへの絶対恭順の手紙を送っています。
それが、功を奏してか、彼女はむしろある意味、優遇されています。
というのも、シュノンソー城よりショーモン城の方が領地収入も多かったようです。
(場合によっては、無一文になって処刑されても致し方ない立場ですから。)
彼女は、その後、再び王宮政治に姿を現わす事も無く、
平安に余生をおくり、67歳で亡くなっています。
死後、娘によって城の近くに埋葬されましたが、
最後にもう一度、災難が降りかかります。
フランス革命の時、民衆によって墓をあばかれ、彼女の遺骸は共同墓地に投げ込まれたようです。
後味のわるい終わり方をします。
今日はこのへんで。
いよいよ本題に入りますが、
まずあるお城の写真から
パリ西方70キロほどの場所にアネにある城です。
ディアーヌが十代で結婚してとついだ城、
そして、王亡き後の最晩年を過ごした場所です。
先日紹介しました、シュノンソー城はアンリ2世の死後、カトリーヌから返還を求められ、
変わりに、パリ東南東220キロほどのショーモン城を与えられますが、
短期滞在しただけで、
すぐにアネに移っています。
ショーモン城
アンリの死後、直ちにディアーヌは王からもらっていた主な宝石類に添えて、
カトリーヌへの絶対恭順の手紙を送っています。
それが、功を奏してか、彼女はむしろある意味、優遇されています。
というのも、シュノンソー城よりショーモン城の方が領地収入も多かったようです。
(場合によっては、無一文になって処刑されても致し方ない立場ですから。)
彼女は、その後、再び王宮政治に姿を現わす事も無く、
平安に余生をおくり、67歳で亡くなっています。
死後、娘によって城の近くに埋葬されましたが、
最後にもう一度、災難が降りかかります。
フランス革命の時、民衆によって墓をあばかれ、彼女の遺骸は共同墓地に投げ込まれたようです。
後味のわるい終わり方をします。
今日はこのへんで。