今回は、まず最初に、
社内事情について少し書いてみます。
と言いますのも、今日(28日)を持って、弊社の若手女性社員が一人、
退社することになり、「旅立って」行きました。
このブログ、本来そういった内部事柄に関しては、
一切触れずにやって来ましたが、
一緒に仕事をさせて頂いた5年ほどの歳月を振り返り、
彼女自身の今後の活躍・幸福を祈る気持ちを込めて、
これから一篇の話を書いてゆこうと思います。
‥‥「別れ」をひとつのテーマにして‥‥
と言いましても、
進むべき道が、3本も見え隠れし、
択一するのに、すこし時間がかかってしまいました。
その3本の道‥‥
1、ゲーテから再びヴェネチアに戻るか、
2、まだほとんど何も書いていない「ファウスト」についての何か
3、登場してしまった、古戦場「ファルサロス(ファルサルス)」
‥‥結果、最後まで頭に残り、離れなかった言葉、
「ファルサロス」 を、続けます。
まずは、久しぶりに布陣図の登場(レパント海戦以来?)
カエサル、ポンペイウス(赤)両陣営
ポンペイウス軍、 重装歩兵 47,000 騎兵、 7,000
カエサル軍 22,000 1,000
距離の数値は黒線1本で1マイル(1,6km)
四角に斜め線を入れたものが騎兵、
ポンペイウス軍左翼に位置しています。
兵力には大きな差異があります。
この前に行われた両軍の戦い(ドゥラキウム包囲戦)では、
カエサル側が敗走する結果に終わっています。
ただ、カエサル自身は、部下たちのその過ちを裁くことなく、
(命令に反しての敵前逃亡は重大な罪で、
最も重い場合、10人に一人の自分たちの仲間を
その残りの9人の手によって殺すという罰もありました。)
カエサル配下の兵たちは自分たちの過ちを認め、
カエサルに裁きを求めたようですが、
彼は部下をなんら罪に問うていません。
そのカエサルの思いにこたえるべく兵たちの士気は上がっていました。
ただし、兵数では決定的に較差があります。
方や、ポンペイウス・サイドでは、半ば祝勝気分がすでに生じていた
ようなところもありましたが、
如何せん、兵たちには少し経験不足のきらいがあったようです。
それに気づいてか、ポンペイウスは、
最前線の兵たちに、槍を低く構えて、踏ん張っているよう、
と指示して回っています。
ですから、上の図を見て頂くとお分かりのように、
ポンペイウス・サイドの兵には矢印が入っておらず、
入っているのは、カエサル・サイドのみ、
ポンペイウスは、最初の突撃走時に、その走りでカエサル軍に
疲労をもたらすこと、そして各隊列の戦闘隊形が崩れることを
期待・予測していたようです。
しかし、カエサルの歩兵達は敵軍が動かないのを見て、
途中で誰からとも無く一旦停止し、隊列を整え、息を整え直して、
再度突撃しています。
両軍が本格的に戦闘を開始して
やがてポンのペイウス騎兵隊が動きはじめます。
側面から後に廻って、カエサル軍を挟み撃ちにするべく、
このとき、ポンペイウス騎兵の前に布陣していたカエサル騎兵は
戦わず道を空けるような形でしりぞきます。
ここでカエサル軍の伏兵、
つまり、その時まで横一線に並んでいた兵たちの中から、
選りすぐいられた、ベテランの強兵たちがにわかに動き、
騎兵の行く手をはばみ、騎兵の顔面をめがけて、長槍の攻撃をはじめ
騎兵7000を包囲し殲滅し始めます。
そして、それを終了させると、
自軍騎兵と共に、ポンペイウス軍左横部に襲い掛かります。
これを見た、ポンペイウスは馬に乗って戦線を離れ、
それを期に、ポンペイウス軍の敗退が始まります。
ポンペイウス像、若い頃は美男でアレキサンダー大王に
もたとえられたと言います。
彼にとって、この戦が生涯はじめての敗戦になりました。
彼は軍人として、スペイン・地中海・オリエントを制圧し、
ローマで3度の凱旋式をあげています。
プルタルコスはその「英雄伝」のなかで、
アレキサンダー大王やテセウス、そしてカエサル、アントニウスらとともに
彼について、一章をもうけています。
その書き出しが‥‥
アイスキュロスの戯曲のなかで、プロメテウスは自分を救ってくれた
ヘラクレスに向かってかく言う、 「父親は私の仇敵だが、息子は我が
最愛の友である」と。
ローマ人もポンペイウスという人物に対しては、はじめからこのような
気持ちを抱いていたかのごとくである。すなわち、彼らは、ポンペイウス
の父ストラボーに対するほど強烈な嫌悪を、他のいかなる将軍にも
示したことは無く、彼の生存中はその弓矢の威を恐れ(彼は非常な
好戦家であった)、彼が雷に打たれて死ぬと、埋葬の際には、その
遺骸を棺から引きずり出してこれに凌辱を加えた。
しかるに、息子のポンペイウスに対する彼らの好意は、そもそもの
始めから絶大なものがあった。まことにローマ人にして、順境に
おいてもただつのりゆくばかりのかかる厚情、逆境にあっても
強固で変わることのないかかる好意を世人から受けた者は
いまだかって在したことがない‥‥
そんな彼ポンペイウスですが、
逃げ足は速く、船を調達して、再びの登場アレクサンドリアをめざします。
彼は中東遠征時、不安定状態にあったエジプト王国を、現在の王を
即位させることで、平和をもたらしていました。
しかし、この時点、エジプトは再び内戦状態(クレオパトラと現王)に
ありましたが。
彼は快速船に親書をもたせて、エジプトに送り、受け入れを確認して
5段層のガレー船をアレクサンドリア外港に停泊させます。
港の外で待てとの王宮からの指示、
やがて、小型船が迎えにやって来ます、
彼ポンペイウスは、迎えのものの指示に従って、
妻や子供たちは船に残し、数名の兵士や側近とともに、船に乗り移ります。
このとき残っている人々に向けて発した言葉が‥‥
独裁者のもとにゆく者は
自由人として赴こうとも
彼の奴隷となる
ギリシャ悲劇作者、ソフォクレスの詩句といいます。
そして、ガレー船から離れ、弓矢の射程距離からもとおのいたところで、
船に乗っていた刺客たちの手によって暗殺されます。
ガレー船に乗っていた人々の見守る中‥‥
この4日後にカエサルがこの港にやって来ます。
その彼のもとに、香油につけられたポンペイウスの首と
剣を持った獅子が刻まれていた彼の指輪が送られてきた、
とのことです。
カエサルはそれを目にして、涙したとも。
‥‥‥‥
当初の言葉とは、
全くもってふさわしくない「別れ」の話になってしまいました。
しかしながら、万感の思いとともに‥‥
今日はこのへんで。