原罪、無原罪、、

   こんばんは、

   話を続けなくてはと思ってはいるのですが、、

   まずは、一枚の作品から、、

 

       

 

          ベラスケス(1599-1660) 無原罪の御宿り 1618年 

        135×101,6cm  ロンドン、ナショナル・ギャラリー 

             (注)ウィキペディア 同題 よりの画像、

 

    先回の、スルバラン(1598-1664)の作品より遡ること十数年のもの、、

    こちらは球形の月?の上に乗った聖母マリア、

    頭部には12の星が描かれ、足元には永遠の生命を象徴する噴水?

            先回のスルバランは地上が昼だったのに比べ、こちらはまったくの夜景、、

 

      この月の上の女性、

      もとをただせば、新約聖書のなかの最終聖典、

      「ヨハネ黙示録」(成立・1世紀末頃?)のなかに、

      

         「また天に大きなしるしが現れた、

          一人の女が身に太陽をまとい月を足の下に

          頭には12の星の冠をかぶっていた、、、

 

 

      もちろんこれは、聖母マリアについて書かれたものではありません、

      世界の終わりについて書かれた「黙示録」その中の一場面ですが、

      これが、聖母マリアのイメージと重なっています、、 

                 、、、、

 

 

    さて、この聖母マリア、

    彼女についての、宗教上の取り決め(教義)がいくつかありまして、、

 

    まず第一に、先回述べました、神の母(テオトコス)とした教義、

       431年に、エフェソスの会議で決議されたもの、、

 

 

    第二は、649年、ラテラノ公会議で正式に決められた、

        「マリアの処女性」に関するもの、

        処女懐胎、、夫ヨセフと交わることなしにキリストを身籠ったこと、

 

        これについて最初に書かれたのは、 マタイ福音書 1章18節、

          「母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に

          精霊によって身重になった、、

        ルカ 1章28節には、

          「6か月目に、御使いガブリエルが、神からつかわされて、ナザレという

          ガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出である

          ヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリアといった、

          「めぐまれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

          この言葉にマリアはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事で

          あろうかと、思いめぐらしていた。すると御使いが言った、

          「恐れるな、マリアよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。

          見よ、あなたはみごもって男の子を生むでしょう。その子をイエスと

          名づけなさい、彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられる

          でしょう。そして主なる神は彼にダビデの王座をお与えになり、彼は

          とこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

          そこでマリアは御使いにいった。「どうして、そんなことがあり得ましょうか。

          わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使いが答えていった、

          「精霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。

          それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられる

          でしょう。(中略)神には、なんでもできないことはありません」。

          そこでマリアが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり

          この身に成りますますように」。そして御使いは彼女から離れていった。

                    、、、、

 

 

    そして、第三の教義が1854年、ピウス9世によって宣言された

        「無原罪の御宿り

        聖母マリアはその母アンナの胎内にやどった時から、

        原罪(男女の交わりにより続いてゆくアダムとイブの神に背いた罪)から

        まぬがれている、というもの、、

 

        この教義は、最も無理があり、古来論議の対象とされ、

        1644年のローマ異端審問条例では、「無原罪の御宿り」

          Immaculata Conceptio

        という言葉の入ったすべての文書の没収を命じていたりもします、、

                    、、、、

 

 

    最後、四つ目が、1950年ピウス12世(再登場、2013,4記)によって定められた、

        「マリアの被昇天

        マリアの生涯の最後に肉体と霊魂をともなって天井に上げられた

        というもの、、

 

        これには、4つの意味合いが含まれるようですが、

 

        1.マリアがその神への従順さによって、イブの犯した罪

          (神の言葉に背くという)を購った、、

        2.イエスを宿した肉体を死によって腐らせるのはよろしくないという考え、

        3.イエスが天から人間界に降りてきたことに対して、マリアが逆に天へ

          上げられるという、対称性・互換性の認識、  

        4.天上の世界の男女両性性

          天井に女性的華やかさを付加する、、

 

 

        この教義宣言が行われたのは、

        1870年の第一回ヴァチカン公会議での採決された「ローマ法王の無謬性」

        (法王判断の、公会議決議より以上の優越性をもたせるもの)

        その決定後の、法王による最初の行使として、注目をあびたといいます、、

                   、、、、

 

 

 

    これらの教義、民間の信仰では、古くから行き渡っていましたが、 

    正式なカトリック教義としては、このように生まれたました、、

    しかし、これはあくまでローマ・カトリックでのお話、ギリシア正教や

    プロテスタントでは扱いが異なります、、

 

 

 

         さてさて、はたして何を書こうとしたのでしょうか、、

         今、ほんとうに時間がありません、、

 

           、、ほんとうに、、

 

         参考文献も挙げてゆかないといけないのですが、、

 

         、、、今日はこのへんで、、

 

 


無原罪の御宿り

   こんばんは、

   今回はどうもうまく頭が纏まってくれません、そのための時間もなく、、、

      しかし、すでに日がどんどん過ぎていってしまうので、

      強引に書き始めてゆきます、、

 

      

 

        再々登場?ヴェロネーゼカナの婚宴」ルーブル美術館、

                  2014.10.31記

 

 

    この場面を、まずは、「新約聖書、ヨハネ福音書 第2章」から

 

      「それから3日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母が

       そこにいた。イエスも弟子たちも婚礼に招かれた。

       すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、

       「お酒がなくなりました。」 イエスが言われる、「女の方”放っておいて

       下さい。” 私の栄光を示す時はまだ来ておりません。」

       母は召使たちに言う、「”なんでもこの方の言われるとおりにして下さい。”」

       そこに、ユダヤ人の清めの儀式のために、石の水瓶が6つ置いてあった。

       いずれも2、3メトレタ(80〜120ℓ)入りてあった。

       イエスは召使たちに言われる、「水瓶に水をいっぱい入れよ。」口まで入れると、

       彼らに言われる、「さあ汲んで、宴会長に持ってゆきなさい。」

       宴会長は酒になった水をなめてみて、---かれはその訳を知らなかったが、

       水を汲んだ召使たちは知っていた。---宴会長は花婿をよんで言う、

       「だれでも初めに良い酒を出し、酔いがまわったところに悪いのを

       出すのに、あなたは、よく今まで良い酒をとっておいたものだ。」

       イエスはこの最初の徴(奇跡)をガラリヤのカナで行って、神の子たる

       栄光をお現わしになった。弟子たちが彼を信じた。

                       福音書 塚本虎二訳 岩波文庫   

 

               

 

           ほぼ中央に描かれている、イエスとマリア、、

                             (注)パオロ・ヴェロネーゼ 主要作品の解説と画像・壁紙 より

 

     イエスは母マリアを「女の方よ」と呼びかけています、

     たとえば、日本聖書協会の訳では、「婦人よ」と呼びかけ、

 

        「あなたは、私となんの係わりがありますか、私の時は、

         まだきていません」

            と、書かれています、、

            聖書は本来記されたヘブライ語からギリシア語、そしてラテン語と

            訳されてゆくあいだに、いくぶんかの改変がどうしても

            生じてしまったと言われます、、

 

      いずれにしたところで、この場面でのイエスと母マリアの関係性は、

      複雑です、、

      すこし強引にイエスに奇跡を要求するマリア、

      それに対し、しぶしぶそれを行うイエス、、、

                     、、、、

 

 

   もうひとつの場面を引用してみましょうか、、

   イエスの最後の時、、おなじく「ヨハネ福音書」からです、、

 

       イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロバの妻マリアとが

       たたずんでいた。イエスはその母と愛弟子とがそばに立っているのを

       ごらんになって、母にいわれた、「婦人よごらんなさい。これはあなたの

       子です。」それからこの弟子に言われた。「ごらんなさい。これはあなたの

       母です。」その時以来、この弟子はこの弟子は、イエスの母を自分の家に

       ひきとった。

                (岩波文庫版では、「女の方よ」です

       

           4つの福音書のなかで、イエスの死に母マリアが立ち会ったと

           書かれているのは、このヨハネ福音書のみ、

           残りの3つには、「母」という記述はこの場面には見えません、、

       

 

           先回も触れましたが、

           母マリアという存在を聖書の中にさがしても、

           思うように現れてはくれません、

 

                     、、、、

 

 

   さて、そろそろ本題に入ってゆかねばなりませんが、

   まずは、一枚の作品から、、

 

         

 

       再登場画家、スルバラン(1598-1664)  無原罪の御宿り 128×89

                                      1630年  マドリッド プラド美術館

             wikipedia Fracisco de Zurubaran より

 

      月の上にのった聖母マリア

      まわりの雲の切れ間からは、それぞれ天国を表すものが見えます、

 

        左上から、天国の門?、あいだに星が見えて、その下は殿堂のようなもの、

        その下には、また星が、

        右上には、天国への階段、聖遺物を納める器に、、その下は?

 

        地上には、スルバランが活躍したセビリアの町並みと行きかう帆船、、

        

        マリアの頭の周りの星が10個描かれていますが、

        本来は12個のもの、隠れている部分があって、、

        それもあってか、残りの二つを別に描いています、、

 

          12は世界を表す数字、

          12ヶ月、キリストの12人弟子、、等々、、

 

        そして、月は、太陽のイエス・キリストと対比しての聖母マリアを

        象徴するものでもあり、教会を示すものでもあります、、

 

                    、、、、

 

 

    

             さてさて、すでに時間が迫っています、、

             本題に入るまえですが、、

             「つづく」とさせていただきます、

 

             今日はこのへんで、、

 

 

                             


エフェソス、、聖母マリア

   こんばんは、

   すこし話を続けようとは思うのですが、、

     「夢」からは離れてしまいそうな、、

 

       まずは一枚の画像から、、

    

 

       パリ、ノートルダム(われらが貴婦人の意・聖母マリア)大聖堂、

       正面左手エントランス上、アーチ部分のレリーフ

 

    横たわっているのは、聖母マリア

    天使たちが天上へまさに運ぼうとしているところ、

 

        いわゆる、聖母マリアの昇天、

 

    画像が切れていますが、キリストの12人の弟子たちが周りを囲んでいます、、

    ただし、歴史上こういう場面はおそらくなかったであろうと、

               ( 12人揃うことは、、

 

 

 

    さて、その「マリア」の死亡した場所が、先回も登場した「エフェソス」、、

           (エルサレム説もありますが、、

 

      

 

         位置関係のため地図を付けてみますが、

 

         たとえば、紀元1年頃の都市人口

 

            ローマ      100万

            ベルガモン    16万

            エフェソス     20万

            アンティオキア   27万

            エルサレム     10万

            アレキサンドリア   40万

     

                というデータもあります、、

 

    そのエフェソスで亡くなった、聖母マリア、、

    彼女についての記録は当初あまりにも少なく、、

    新約聖書のなかの、キリストの言動を示した4つの福音書、

 

            マルコ  紀元65−80頃成立  ローマにて執筆?

            マタイ  85年頃(70-90)    パレスチナかシリアにて?

            ルカ   1世紀から2世紀にかけて(70-90)  ギリシア?

            ヨハネ  1世紀末(90-120・130)   エフェソス

 

      その古くなればなるほどに、逆に記録は少なくなります、、

      本来父性重視のキリスト教で、彼女の存在は

      当初ほとんど顧みられませんでした、、

 

      たとえば、マルコ福音書には、イエスのこんな言葉が、、

        母がイエスを訪ねてきていると知らされた時、

        「私の母とはだれのことか」

        「神の御心を行うものは誰でも私の母なのである」

                   と答えています、、

 

      これが、最後のヨハネ福音書では、

      たとえば、カナの婚礼の場面で、イエスは最初の奇跡、

      水をワインに変えるということを行なっていますが

      これを指図したのがマリアという設定、、

      そしてイエスの受難(最後)にも立ち会っています、、

 

                 、、、、

 

 

    話をすこし飛ばしますが、

    古代世界の七不思議というものがあります、、

 

           ギザの大ピラミッド

           バビロンの空中庭園

           エフェソスのアルテミス神殿

           オリンピアのゼウス像

           ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

           ロードス島の巨像

           アレキサンドリアの大灯台

 

               いくつかすでに登場したものもありますが、

 

      エフェソスのアルテミス神殿

 

       先回登場しましたアルテミドロス、

       そのうちの二人がエフェソス出身でしたが、

       そもそも、エフェソスのいわゆるご当地神様がアルテミスで、

       今はほとんど残っていませんが、そこには巨大神殿が建てられていました、、

 

            諸説あるようですが、あのプリニウスによると、

            神殿広さは、縦115m、横55m、  

              高さ18mの巨大柱が127本も林立した神殿であったとか、、

          

               ちなみにアテネのパルテノン神殿

               縦、69.5m 横、30.9m 円柱高さ、10.4m

 

 

    そのエフェソスで1956年、ある像が発掘されました、、

  

       

         豊穣の女神(地母神)としてのアルテミス像です、

         、、胸部にはたくさんの乳房、、

         現在は同地の考古博物館に展示されています、、

 

   

    さて、この地へキリスト教が伝播した当初、、

    あのパウロが当地の偶像崇拝を攻撃した際には、

    人々の「大いなるかな、エフェソス人のアルテミス」と叫びながらの暴動

    にあって苦心しています、、

 

       パウロ自身、母マリアにはほとんど言及せず、

       たった一度だけ、その手紙になかで、

       「神は御子を女からうまれさせ、、」と書いています、

                 、、、、

 

    しかし、後に、聖母マリア信仰をアルテミス女神に代わるものとして、

    位置づけることによって、ようやくキリスト教が広まってゆきます、、

 

    ただ、そんな経緯からか、やがて聖母マリア信仰も熱烈なものに変ってゆき、

    この地に、歴史上最初にマリアに捧げられた教会も建てられ、

    その教会で、431年には公会議が開催されて、、

    マリアを神の母(テオトコス)として、教義上の取決めも行っています、、

                   、、、、

 

       

       聖母マリアの存在がどんどんと大きくなってゆきます、、

 

 

      

       さて、はたして、彼女がこの地で亡くなったかどうか?

 

       付け加えれば彼女が住んだという?石造りの小さな家まで残っています、、

 

 

       もうひとつ加えておくなら、

       最初にあげたノートルダム大聖堂のあるフランス、

       1635年、ルイ13世はドイツ30年戦争に介入するにあたって、

       フランス王国を聖母マリアに捧げています、、

 

       この大聖堂祭壇奥に現在、ひざまずいて、聖母にフランスの王冠と王笏を

       差し出すルイ13世像が見られます、、

                       、、、、

 

 

           さても、すでによき時間、、

 

           「つづく」としておきましょうか、、

           今日はこのへんで、

 

 

 

 


歴史的夢占い

   こんばんは、
   「夢」のお話を続けようと思っているのですが、、
     まずは、6年ぶりに登場させます一枚の作品から、、
               (2010年9月記)
         

      1550年頃製作、
      「狩猟姿のディアナ」ルーブル美術館蔵
      6年前は作者不詳と書きましたが、
      ルカ・ペンニ(1500頃−56)という名が出てきています、
      彼、フィレンツェ生まれのイタリア人、、パリにて没、、

      その折にも書きましたか、、ディアナ 英語ではダイアナ、
      ローマ神話の神の名ですが、これをギリシア神話名で
      アルテミスといい、、狩猟・貞潔の女神、、後に月の神、、

    この神に授かった、という意味の名前が、アルテミドロス、、

             Artemidorus


    
この名前で調べてゆくとまずひとつの作品にあたりまして、

        
         何故にこんな形?と思っていると、、

         

      ミイラ・ケース、大英博物館蔵、紀元100〜150年頃?
      ローマ時代入ってからのものです、、材はシナノキ
      20歳過ぎに亡くなった若者のミイラ、
         死因は不明?ただ頭蓋骨に陥没があるとか、

      ケースには、「アルテミドロス、さらば」と
      ギリシア語で書かれていると、、
              、、、、




    
  
   次に登場するのが、エフェソス生まれのひと、紀元前2世紀末頃の同名人物、

   ギリシア人地誌学者で地中海・黒海沿岸を旅し記録を残しています、
   上は、そのパピルス、、イタリア・トリノの、ある宮殿博物館所蔵とか、、
   後の人々の引用からのみ、その著作を知ることができないような実情、
                、、、、



   そして、もう一人のアルテミドロス
   彼は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に登場しますが、、
   その第2幕、第3場、、

          アーテミドーラス(英語読み)、紙片を読みながら登場

       『シーザーよブルータスに要警戒、キャシアスに要注意。キャッスカからは
       離れろ。シナにも注意。トレポーニアスは信用するな。メテラス・シンバー
       これも要注意。ディシャス・ブルータスは汝を愛せず、ケイアス、リゲイアス
       には、汝、非道をなしたるはず。彼らは完全に一心、ひたすらシーザーを
       狙いおれり。汝、もし不死の身ならずば、身辺の警戒を怠るなかれ。油断は
       禁物、陰謀に道を開くのみ。
       偉大な神々の加護、汝の上にあらんことを!汝の味方、アーテミドーラス。』
       
       シーザーが通るまで、ここで待つことにしよう、
       そして訴願人の体でこれを手渡すのだ。
       有徳の士も嫉妬の毒牙だけは免れぬかと思うと、
       私の胸はいたむ。ああ、シーザーよ、
       これさえ読めば、君の生命は無事だが、
       さもなくば、運命の神も反逆人の一味ということか。

            そして、次の第3幕、、

       アーテミドーラス  シーザーさま、万歳!この書面をお読みください。
       ディシアス  トレポーニアスからお願いがございます、恐れながら
          この請願状を、なるべく早くお読みくださいますよう。
       アーテミドーラス  ああ、シーザーさま、どうか私のを先に。お身の上に
          ついて、より緊急な請願でございますゆえ。お読みください、ぜひとも。
       シーザー  わが一身に関するものとあれば、それは最後だ。
       アーテミドーラス  一刻の猶予もなりませぬ、即刻お読みくださるよう。
       シーザー  なに、こいつは狂人か?
       パブリアス           こら、さがれ、さがれ、


            シーザー暗殺の直前の場面です、


            ただ、これはシェイクスピアの創作ではなく、、
            プルタルコス「英雄伝」に

       また、クニドス生まれのアルテミドロスという人は、ギリシアの学問の
       教師でありブルートゥスの仲間の幾人かと親しくなっていた。それで
       陰謀計画の大要を知っていたので、密告しようと思って、そのことを書状に
       記して彼の所にもってきた。ところが、カエサルが方々からきた書類の
       一つ一つを受け取っては自分の傍らの召使に手渡しているのをみて、
       つかつかとそばに近づいて、「カエサルよ、これをおひとりで早くお読み
       ください。あなたに関係のあるすこぶる重大なことについて書いてある
       のですから」といった。
       そこでカエサルはそれを受けとって、幾度となく読もうとしたが、彼に会いに
       きている人が多いためにそうするのが妨げられ、そのためこの書状一本だけ
       を手に大事に持ったまま元老院議場に入っていった。
       もっとも別に説をなすものがいて、その手紙を渡したのは別人で、
       アルテミドロスはまったく彼に近づくこともできず、来る途中ずっと人に
       阻まれていた、という人もある。


            以上、3人目のアルテミドロスでした、、


    
    さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ本命のアルテミドロス、
    先回のブログでの、たくさんの人物列記のなかの、ひとり、、

            ダルディスのアルテミドロス

   
小アジアのダルディスが、地中海沿岸エフェソスから内陸に入ったところで、
   この人も、エフェソスで生まれ活躍したところから、すこし紛らわしく、
   「エフェソスのアルテミドロス」と呼ばれたりもしていますが、、

   2世紀頃に活躍、彼の残っている著作が「夢判断の書(Oneirokritika)」
            ギリシア語で書かれています、
   10世紀頃に東ローマ帝国で編纂されたスーダ辞典(3万語に及ぶ辞典)に
   その記述があり、この作品のほかに「鳥占い」や「手相占い」の本もあった
   ようですが、現在は失われてしまっています、、

   さてこの「夢判断の書」、ヨーロッパに広まっていったのは、
   活版印刷が始まって、ヴェネツィアでアルディネ版(ギリシア語)が
   出版され(1518年)てから後、、
            
                

    その同年、スイス・バーゼルでラテン語版が出版され、
    このラテン語版から、1546年には、フランス語、
    1549年にはイタリア語に翻訳され、
    1603年には、パリで再度ギリシア語原文が出版、、
    1864年、65年には、それぞれ別の研究者がギリシア語校訂版を出版、
    1881年にはドイツ語版が出て、、、
    1975年には、英語版が、、
    そして、わが日本語翻訳が1994年、、

    それに加えて、イスラム世界にも翻訳されていまして、
    9世紀?に、フナイン・イブン・イスハークがアラビア語に、
    しかしこの原文は長く見つかっていませんでした、
       その存在が知られていたのは、
       10世紀、イブン・アンナディームの「フィフリスト」という
       図書目録のような著書によって、、
       これが、1872年にドイツ人フリューゲルによって翻訳され、
       一般に知られることに、、

    そして、その実際の書物が、1959年、
    ストラスブール大学教授のアラブ人学者によって、
    イスタンブール大学図書館で発見され、
       (もとはスルタン・アブデュル・ハミト2世の所有、
              オスマン帝国皇帝(1842-1918)
    1964年にフランスの援助を受けて、ダマスカスで刊行、、
             、、、、

     
     さても、それほど、人々の心を摑んでいたのでしょう、
     近現代まで、民間の夢判断のバイブルのような存在だったとも、
    
             

          こちらは、ある英語版のジャケット、
     
         、、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光、、
              、、、、




    さてさて、4人のアルテミドロスの出そろったところで、、                 
    再び、、最初の「アルテミドロスよ、さらば」となりますか、



         今日はこのへんで、
 

夢占い フランス・ルネサンス 

   こんばんは、
   「夢」のお話を続けますが、、

      今日は一冊の本のあるジャケットから、、

        

                 「ガルガンチュア」(1534年)

      フランソワ・ラブレー(1483頃-1553)著
        ラブレー、フランス・ルネサンス最大の人文主義者のひとり
        彼が書いた荒唐無稽物語(巨人が主人公)
          ジャケットにあるように、ひとをくった、
          とんでもないものでもありまして、、

        シリーズ全5冊ああり、 
        ラブレーの死まで書き続けられています、
        5冊目は死後1564年出版、そのため偽書説もありますが、、

        1543年には、その社会的権威へ風刺等から、
        パリ大学の禁書目録に登録されてしまいます、
        このとき2冊目をすでに出版していましたが、
        作者名を本名のアナグラム偽名で書いていました、
          François Rabelais 
          これを、アルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)として、

        当時彼はリヨン市立慈善病院の医師として働き始めていましたし、
        それまでに、ギリシアの医学書をラテン語からではなく本来の 
        ギリシア語から講義しており、、先回のヘロドトス「歴史」も
        ラテン語翻訳を試みたりもしていました、、

        それゆえ?シリーズ3冊目は当の本名で出版(1546年)、
        国王フランソワ1世の「特認」も得て、出しますが、
        残念ながら再度禁書目録に掲載されてしまいます、、
                 、、、、


      たとえば4年ぶりの登場?、
        ギュスターブ・ドレ(1832−1888)の挿絵には、

       

            幼児期のパンタギュルエル(ガルガンチュアの息子)
            の食事風景

 
    さて、そのシリーズ3作目、
    「第3の書 パンタグリュエル物語」13章にこんな記述が、、

      「さて、ウェルギリウス占いに出たところでは意見が一致せぬようだから、
      もっと別な占い法でやることのしよう。
      
      歴とした、由緒ある、正真正銘の占いだな。夢占いだ。
      そもそも、「夢について」におけるヒポクラテス、プラトン、
      プロティノス、
イヤンブリクス、シネシウス、アリストテレス、
      クセノポン、ガレノス、
プルタルコス、ダルディスのアルテミドロス、
      ヘロピウス、
クイントゥス・カラベール、テオクリトス、プリニウス、
      アテナイオス
及びその他の人々が記述している通りの状態で夢を見ると、
      霊魂は未来のことどもを度々予見いたすものだからだ。

      つまり嬰児が体を綺麗に拭ってもらい、腹いっぱいに乳を飲んで
      ぐっすりと眠ってしまうと、乳母たちは、揺り籠の側についていても
      用がないというわけで、今こそ好き勝手に振舞える時間だとばかりに
      のうのうとして、遊びにいってしまうものだ。
      これと同じように、我々の霊魂も、肉体が眠り込み体内諸器官の
      消化作用も完全に終わっていれば、眼が醒める時まで控えている
      必要も全くなくなるから、逍遥遊を試み、その生まれ故郷、即ち
      天界を再び訪れるわけだ。

      この天界から、霊魂は、その最初の聖なる始原の姿を明らかに
      啓示せしめられるのだ。そして、いかなることも突発せず、
      いかなることも生起せず、いかなるものも荒廃せず、一切の時間が
      現在し、その中心は宇宙の各地点にあって、その円周は全く存在せぬ
      という、無限なる理念の天球(これは、ヘルメス・トリスメギストス
      教義に従えば、神のことだが) こういう天球を、霊魂が観照してるうちに
      下層部運動としての過去の事象のみならず、未来の事象をも認知
      するように相成る。

      
   夢占いに関しての文章、、
   よくもまあ、これだけ人物名を並べたもの、、と思うのですが、、

           ウェルギリウス(BC,70-19)

           ヒポクラテス(BC,460-370頃)
           プラトン(BC,427-347)
           プロティノス(205?-270)
           イヤンブリクス(245-325)
           シネシウス(373-414)
           アリストテレス(BC,384-322)
           クセノポン(BC,427-355?)
           ガレノス(129-200頃)
           プルタルコス(48?-127頃)
           ダルディスのアルテミドロス(2世紀)
           ヘロピウス(??)
           クイントス・カラベール(??)
           テオクリトス(BC,318?-270?)
           プリニウス(23-79)
           アテナイオス(200年頃)

       それも、古代世界の人物ばかり、
       それゆえの?、、文芸復興、、
       (ひとりひとり、もう少ししっかりと観てゆけばよいのでしょうが、、
               、、、、


    さて、この上の文章の、すこし後に、こんなことも付け加えています、

      古代の占術師のアンピアラオスは夢によって託宣を受けんとする者は
      当日何も食べず、さらに3日前から葡萄酒を飲まぬようにせよと、
      申しておった、、、     


        
    そもそも、この一連のくだり、
    成人して騎士となったパンタグリュエルの、従僕の結婚の未来を、
    その本人の見る夢によって占おうというもの、、
    その従僕に、パンタグリュエルはこうも忠告します、、


      されば、明日、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光(アウロラ)が夜陰を
      追い払う時刻に、深い眠りに入って存分に夢を見てみるがよい。
      さりながら、一切の人間の情念、即ち、愛欲、憎悪、希望、恐怖から
      脱却いたし居らねばならぬぞ、、、

                    、、、、


        さてさて、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光(アウロラ)の時は
        とうに過ぎ、、当のわたくしは残念ながら、

            愛欲、憎悪、希望、恐怖にまみれてしまっていますが、


            今日はこのへんで、、



 

放尿の夢 ヘロドトス「歴史」

   こんばんは、
   「夢」をもうすこし続けます、、

     まずは、大英博物館所蔵の作品から、、
      

      1879年にバビロンの神殿跡から発見されたもの、、
      発見者は、大英博物館から依頼を受けていたホルムズド・ラッサムという
      イラク国籍のキリスト教アッシリア人、

        

      アッカド語楔形文字がぎっしりと刻み込まれています、、
         大きさは22.5×10cmほど、
         35行あるようで、最初の3行は破損により判読不能、、
      通称「キュロス・シリンダー」(BC.539〜530製作)
      アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世(BC.600-529)の功績
      が書かれています、、

      その記述が、旧約聖書のバビロン捕囚からの解放と符合するため、
      聖書記述の、歴史的事実としての一面を浮かび上がらせています、、
                   、、、、


    さてそのキュロス2世、彼、生まれる前から、逸話がありまして、、

    それは、ヘロドトス(BC,485頃-420頃)「歴史」からですが、

       (そもそも、日本語の「歴史」という言葉が良く使われだしたのは、
       明治時代になってから、、いうなれば非常に新しい翻訳語です、、
        江戸時代から辞書には見え、柳多留(川柳)なんかにも出たりしても
        いるようですが、、あまり使われていなかったような??

        「史」という言葉は、古くからあり、
        もともとは天体の運行を計算して、暦をつくる人を「史」と言ったようで、
        古代、暦をつくることは最も神聖なつとめであり、、それにともなって
        年月にかかわる記録も管理していたので、、
        それが「歴史」につながって、、、


      ただし、本来のギリシア語は ἱστορίαι
         その意味は、知りえたこと、とか、探求して学んだこと、、、


    
    彼は、こんなふうに「歴史」を書き始めています、、

       本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が
       時の移ろうとともに忘り去られ、ギリシア人や異邦人(バルバロイ)の
       果たした偉大な驚嘆ずき事蹟の数々――とりわけて両者がいかなる
       原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に
       知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べた。


         彼は古代世界にも関わらず、大旅行をしていたようで、
         東はバビロン、西はリビア、南はナイル上流アスワン、
         北に関しては、黒海北岸ギリシア植民地オルビアを中心に
         クリミア半島、ウクライナ南部あたりまで、、


         彼を「歴史の父」と呼び始めたのは、
         すこし前に登場したキケロから、とも言われています、、




    さてさて、長い前い前置きはこれくらいにして、、「夢の話」、、

    その第一巻 107章に、

       キュアクサレスの子アステュアゲスが王位を継いだ。
       アステュアゲスにマンダネ(キュロスの母)という娘があったが、
       ある時彼は、この娘が放尿して町中に溢れ、さらにアジア全土に
       氾濫するという夢をみた。
       彼はマゴスの夢占いの係りの者にこの夢を話し、彼らから夢の
       意味を子細にきいて驚愕したのである。
       それでアスチュアゲスは娘が年頃になった時、その夢に対する
       危惧から、自分の地位に釣り合うようなメディア人からは婿を
       選ばず、カンビュセスという名のペルシャ人に娘を与えたのである。
       この男は家柄もよく性質もおとなしく、しかもメディアの中流よりは
       ずっと低い地位にあると考えたからである。

       ところがマンダネがカンビュセスに嫁いだ最初の年に、
       アスチュアゲスはまた夢をみた。
       この娘の陰部から一本の葡萄の樹が生え、その樹がアジア全土を
       蔽ったという夢である。彼はこんな夢をみて、その夢を夢占いの者
       たちに伝えてから、既に妊娠中の娘をペルシアから呼び寄せ、
       やってきた娘を厳重に監視させた。娘から生まれてくる子供を
       殺すつもりであったのである。というのは、夢占い係りの者たちが、
       彼の娘の生む子が、やがて彼に代って王になるはずだと告げた
       からであった。


         こんな風に続いてゆきます、、

         王は、側近の最も忠実な人間に生まれた子を殺すよう指示します、
         そして、その人物は、それを自分の牛飼いに命じますが、
         たまたまその時に妊娠していたその妻の子が死産になって、
         その死んだ子と、預かった子をすりかえ、自らの子として育てます、、

         牛飼いの子として大きくなってゆきますが、おのずと
         高い能力を持ち、10歳になった頃にはその評判がアスチュアゲス王
         まで届いてしまい、、、


         さてさて、つづきが気になる方はどうぞ「歴史」を、、



         
            よき時間になってきました、、

            夢はまだつづくのでしょうか、、


            今日はこのへんで、

    



     

羽根のない天使と梯子、ヤコブの夢

  こんばんは、

  「」の話を続けますが、そこに辿りつくために、
    まずは、一枚の作品から、、

    

            久々の登場、ゴーギャン(1848-1903)の1888年の作品、、
          (2011年8月以来?)  スコットランド王立美術館蔵
      タイトルは、「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)

    ゴーギャンがタヒチへ向かう(1891年)前、ブルターニュ滞在中のもの、
    当地の民族衣装に身を包んだ女性たち、
    彼女たちが教会で説教を聞いた後に、その場面を幻想として見ている風、、

      その題材は旧約聖書、巻頭、創世記の第32章
      同じ内容の作品をドラクロワが描いたものは、
      2012年1月14日に取り上げましたが、その聖書の文章、、


      「その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに11人の子供を
      連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡して
      しまうと、ヤコブはひとり後に残った。そのとき、何者かが夜明けまで
      ヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの
      腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
      「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」その人は言ったが、ヤコブは
      答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」。「お前の名は
      何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った
      「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。
      おまえは神と人と闘って勝ったからだ」。

        イスラエル;神に勝つ者 イシャラー Isra(勝つ者) とエルel(神)


    この上の作品について、ゴーギャンはゴッホに手紙で、、

      私は人物に素朴で迷信を信じるような、偉大な単純さを表現できたように
      思う。これは非常に厳粛な絵画である。
      この絵に描かれている風景と天使とヤコブの闘いは、説教のあとで祈る人々の
      想像の中にだけ存在する、、


    この絵、ゴーギャン自身の「印象派」への決別宣言のようなものでしょうか、、
    以降、目に見えないもの、視覚(網膜)では捉えられないものを表現し始めます、、

                、、、、



    さて、前置きはこれくらいにして、、本題、「」のお話しを
    この「ヤコブ」が上の天使との闘いより以前に、「夢」を見ます、、

      「ヤコブ」イスラエルの民の始祖、
      彼が双子の兄エサウを出し抜いて長子の器におさまったため、
      兄から命を狙われ、そのための逃避中に、、

      以下創世記、28章から

      「ヤコブはベエルシバを立って、ハランヘ向かったが、一つの所に着いた時、
      日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取って枕とし、そこに
      伏して寝た。時に彼は夢をみた。
      ひとつのはしごが地の上に立っていて、そのいただきは天に達し、神の使い達が
      それを上り下りしているのを見た。
      そして主は彼のそばに立って言われた。
      「わたしはあなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが
      伏している地を、あなたと子孫に与えよう。(中略)
      わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたを
      この地に連れ帰るであろう、、、」
      ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、
      わたしは知らなかった」
      「ここなんという恐れ多い場所だろう。これは神の家である。ここは
      天の門だ」
    

    

            ミヒャエル・ヴィルマン 1691年 ベルリン、ボーデ美術館

   

       こちらは、ムリーリョ 1660-65年 ロシア、エルミタージュ美術館


    例示した作品は、とりあえず梯子が描かれ、聖書にもはしごという表記に
    なっていますが、どうやら本来の姿は、煉瓦の階段であったようで、、、
      (それにならった作品も、比較的最近のものにはありますが、、


    そして、よく考えて、上の作品を見てみると、、ひとつの疑問がうまれます、


       天使たちに空飛ぶ羽根があるのに、何故に階段が必要なのか?
       という、、、


       つまり、旧約聖書成立当初、  
       天使たちには羽根が付いていなかった、、
       付いているとは考えられていなかった、、という事実が、、
               、、、、


        さてさて、何を書こうとしたのでしょう?


            「ヤコブの夢



        夢の話は、まだ続くのでしょうか、、


        今日はこのへんで、

夢から外れて、、カラヴァッジョ、消された手

   こんばんは、
   すこし続けますが、「夢」の話からは外れます、、

     まずは、先回から続いてメムリンク「聖ウルスラの聖遺物箱」
     ウルスラがまさに殺されようとしている場面

        

         服装は当時の恰好、
         背景にはケルン大聖堂がみえます、、

     

        こちらは、先回も登場した、カルパッチョ 1497−8年頃
        結構大きく、268×520cm 
        左手はウルスラの殉教、右手には彼女の葬儀が描かれています、

      この作品からおよそ100年の時間が流れて、
      1610年 ある画家が生涯最後の作品として
        (異説あり、、しかし最後の時期の作品には間違いありません)
      聖ウルスラを描きます、、

    

       カラヴァッジョ 聖ウルスラの殉教 154×178cm
         パラッッォ・ゼヴァロス・スティリアーノ美術館 ナポリ

     登場人物はたった5人、それも一人は右端に後ろ向き、、
     横に一列に並び、顔のラインもほぼ同じ高さ、、
     まさに矢がウルスラの胸元に刺さった瞬間、、   
       闇は深く、矢を射た王も、その横の人物も顔が陰になっていて、
       その真ん中の人物の身体はほとんど闇の中、、

   

     何冊か本を見ていて、ふと気づいたのですが、
     どうやらこの作品、修復?後に「手」が出てきたようで、
     ウルスラの両手の斜め下に、中央人物の手が王の矢を阻む?ような感じで、
     前に差し出されています、、
       、、比較的新しい出版年の本の画像には手が現れています、、

       この作品そもそも、イタリア商業銀行が所有しているらしく、
       以前は、あのカポディモンティ美術館が委託公開していたようですが、
       現在は、銀行自らが所有することになった建造物に美術館をもうけ、
       そこに展示されています、、

       新たに展示替えする際に、修復したのでしょうか?
               、、、、

       この作品の注文依頼主は、
       ジェノヴァ公マルカントニオ・ドーリア、
       この人、どうやらローマ時代のカラヴァッジョの友人でもあったようで、
       彼が可愛がっていた義理の娘が住む修道院のために依頼したとか、
          1610年5月17日に、完成後、ナポリから発送されています
             、、死亡が7月18日ですから、、

       1609年夏、刺客から逃れるようにカラヴァッジョは、ナポリに
       やってきますが、その直後に市街で4人の武装者たちに取り囲まれ、
       瀕死の重傷を負ってしまいます、、
       ローマでは彼の死亡説も飛び交うほどの重傷だったようですが、
       作品はいくつか生みつづけます、、

          その中の一枚が「ウルスラ」、
          そんな状況ですから、上の一本の手のあるなしで、
          意味合いが変わってきます、、

   

     ウルスラを挟むように二人の人、
     右のすこし上向きに口を開けている人物はカラヴァッジョ自身の
     自画像といわれ、、左手の人物は頭にターバンを巻いているような?、、、
     この人が右手を前へ出しているわけですが、
     この二人は、ウルスラ側の人間として描かれているのでしょうか?
         
     ウルスラ自身は、動じることなく、じっと矢を見つめています、、
     先回の天使の告知が、神の意思が、「殉教」が現実になる瞬間、、

     

     片や、フン族の王、アッチラという記述もありますが、、
     深いしわのなかに、悲しみすら感じ取れます、、
       身体の向きも、残りの4名の人と同じように正面よりも
       いくぶん左方向に、、
       これによって、最初の2枚の作品のように、対立する関係というよりも
       弓を射る王自身も他のものと同じ仲間?のように見えてしまいます、、
              、、、、


     さてさて、どうしてもこの作品に登場してもらいたかったのですが、、
     はたして、カラヴァッジョ最後の作品なのかどうか?

        いずれにしてもこの頃の作品は、
        ひとつひとつ見てゆかねばならないほど、
        死が、(生) が、近くに感じられるものばかり、、
        、、今回、その誘惑は抑え込んでおきましょう、、
              、、、、



     人を殺し、そして人を何度も傷つけ、
     なおかつ、刺客に殺されそうになった画家、、
     ある評者は、、

        すぐに腹を立てる気難しい男だった。
        狭量で、よこしまで、ねたみ深く、意地悪で、喧嘩早く、
        路上でいさかいを起こす輩で、そのうえ殺人犯で、
        たぶんホモセクシャルだった。
        彼は多大の才能に恵まれていたが、
        分相応の生活をする能力には欠けていたのである、、、

           ( 2013.10.09.にすこし書いていましたが、、



     この作品、実は1980年まで、マッティア・プレーティ (1613-1699) によるものと
     されていましたが、資料発見によって、カラヴァッジョが作者であることが
     実証されました、、


     しかし、いつごろ、だれによって、「」は消されたのでしょう、、



         さても、良い時間になってきました、、
         それでは、今日はこのへんで、、

        
     

聖女の夢

   こんばんは、
   「夢」シリーズ、続けてゆきます、、今回で6回目、
  
     まずは、小さな画像から、、

            
                  
              1490年頃作  メムリンク(1430−40頃〜1494年)
   
   右側はうまく判読できませんが(洗礼者ヨハネ、後ろには聖ゲオルギウス)、、

         

   左の作品には聖母子と二人を囲むように6人の聖女が描かれています、、
     どうやらルーブル美術館にあるようですが、、
     おそらく真ん中で二つ折りにして持ち運べるタイプの作品、、
             (幅が15cmほどです、
     その人物、左から
     聖カタリナ(アレキサンドリアの)指輪をもつ
           2011.11.3.記
      アグネス、子羊、
      チェチリア(セシリア)、手動オルガン
      ルキア(ルチア)、眼球
           2013.10.23.記
      マルゲリータ(アンティオキアの)、ドラゴン
           2011.4.13.記
      バルバラ、塔
          それぞれの持ち物を携えています、、
      、、人気の有名どころの聖女たちです、、


   さて、その同じメムリンクの作品に、   

      

    1489年作 「聖ウルスラの聖遺物箱」 メムリンク美術館(ブリュージュ)
     大きさは、87×91×31cm、とそんなに大きくありません、、
         この反対側の面に

                          

        聖ウルスラが10人の女性を覆うように描かれ、
        手には長い矢を持っています、、

    彼女についての記述で最もポピュラーなものが、
    再登場、ウォラギネの「黄金伝説」1267年頃作
    このなかには、175の逸話が集められていますが、
    その151番目のお話し、
 
      「一万一千童貞殉教女

          といういかつい題名が付けられていますが、

      まだローマ時代?の話で、ブリタニアのある王の娘ウルスラ、
      見目麗しく評判もよかったので、イングランド皇太子から結婚を
      申し込まれます、しかし彼女敬虔なキリスト教徒、
      この申し出を断るつもりで、皇太子にもクリスチャンになることを要求、
      なおかつ3年間の予定のローマ巡礼が終わるまで待ってほしいと返事を
      すると、あっさりOKされてしまい、、

      自分に同行させる10人の処女を両国から選んでもらい、
      彼女らもクリスチャンにしたうえで出発、、

      そのうえその10名と自らに千人の侍女を付けたものだから、
      総勢一万一千人を越えるほどに、、
        これには、ローマ数字 Ⅺ (11)この上に横棒をつけると、
        ×1000 を表すことになりますが、
        たまたま何かの理由で書かれてしまった横線を、
        読み込んでしまったのでは、とも、、
        また異説では、
        11Martyres Vierges (11処女殉教者)を
        ローマ数字 XI.M.V.  1万1千と読んだとか、、
        侍女に Undecimilla、1万一千という名の人物がいたとか、、
                  、、、、

      さて、彼女たち、イギリス海峡を渡り、ライン川を遡って、
      ケルンに到着した際に、
      ウルスラの前に神の御使いがあらわれ、彼女にこう告げたといいます、
        あなたは無事ローマ巡礼を終えてこのケルンまで戻ってきますが、
        この地で異教徒の手によって殉教します、、と、

      こう告知されますが、そのままウルスラは巡礼に赴き、
      ケルンに帰ってきて、ケルンを攻撃していたフン族につかまり、
      彼女の美しさゆえに、王に結婚を迫られますが、拒否、
      怒った王の弓矢を胸に受け、殉教、、
        ただ、その後フン族はケルン包囲を解いて引き上げたため、
        彼女はケルンの守護聖人に、、

      
    さて、その「夢」の話ですが、

     

      カルパッチョ(1455−1525) ヴェネツィア画家の「ウルスラの夢」(1495年)
             アカデミア美術館、ヴェネツィア

     ケルンで彼女の「夢」に天使があらわれて、、という設定画、、
        (しかし、「黄金伝説」には「夢の話」はいっさい
         登場しません、、

                

        天使が手にしているのは、またしても棕櫚の葉
        「殉教・勝利」のシンボル、、
               、、、、


     最後にすこし話を戻しますが、
     上に登場させた「聖ウルスラの聖遺物箱」
     残念ながら現在は空っぽのようで、、今となっては、
     本来、何が入っていたのかも、知る由もない状況とか、、 
                、、、、


     もうひとつ付け加えておくと、
     かつてカトリック典礼歴では10月21日を聖ウルスラの祝日と決められていましたが、
     彼女の実在が現在では疑問視されているため20世紀になってこの祝日は
     とりやめになってしまいました、、

       そもそも、この伝説を大きくする一つのきっかけとなったのは、
       現在聖ウルスラ教会が建てられている場所(ケルン)、
       もともとは墓地だったようですが、
       1106年の市街地拡張工事の際、予想を上回る多くの人骨が発見されたため
       ともいいます、、

          その骨の一部?が、この教会の「黄金の部屋」に
          モザイクのようにして残されています、、

     

            アーチ型の部分、すべて人骨です、、
                    、、、、



       さてさて、いらぬことを付け加えてしまいました、、
       そろそろ良き時間、、
       もう一枚、登場してもらわなくてはいけないウルスラ作品が
       あるのですが、、

       「つづく」、としまして、
       今日はこのへんで、 


 

コンスタンティヌス大帝の夢

  こんばんは、

    このブログどうやら勝手にコピーされているようで、
    同じ記事を他のブログページで見かけられることも
    あるかもしれません、、困ったものですね、、

  さて、今回はいきなり一枚の絵画からはじます、、

           

    夜の場面、登場人物は5人、4人ではありません、
    左上に後ろ姿で天使が描かれています、、

      

   絵の具の剥離(フレスコ画)で天使のスカート?部分が
   消えていますが、、右手の先に十字架を持っています、、

   光はこの天使から発するように描かれ、
   テントの中で眠るひと、頬ずえをつく人らを照らしています、、

    
    さてここで話を中断して、
    再び地図を登場させますが、
 
   
                  
    画面ほぼ中央丸印の中央にある都市、アレッツォ Arezzo
    斜め左上、フィレンツェまで80kmほど、、

    
   
    古く美しい街ですが、
    この街のサン・フランチェスコ教会に上の作品が描かれています、
    作者は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-1492)、、
      (彼この街の近郊の生まれ、、
    フレスコ画です、、

        
   
    天井は別として、奥まった部分全体を彼が描いています、
    全10画面、「聖十字架伝説」
    正面右手奥に上の作品が見えます、、

      「聖十字架伝説」、
      創世記アダムが死んで生えた木が、その後キリストを
      磔にする十字架となり、ローマ時代末に再発見されるというお話し、、
      年数に換算すると4600年以上?に渡るような?、、
  
      描かれた画面は10枚、
        1.アダムの死 仮定としてBC.4000年頃?
        2.シバの女王のソロモン王訪問 紀元前10世紀頃
        3.聖木の運搬
        4.聖母マリア、受胎告知
        5.コンスタンチヌス帝の夢
        6.コンスタンチヌス帝の戦闘(夢見の翌日)312年
        7.ユダの拷問
        8.聖十字架発見
        9.ヘラクレイオスとホスローの戦い
        10.ヘラクレイオスのエルサレム入城 630年
   
      最初のフレスコ画は、コンスタンチヌス大帝(272-337)の夢、
         (330年頃には、首都をローマからコンスタンチノープル
         (現イスタンブール)に遷都
      ある戦いの前夜、夢に天使があらわれ、
      戦いに十字架の旗印を掲げると勝利を約束すると言われている様子、
      
                   

    おそらく、写実的に光を(夜)捕らえた、歴史的に最初?の絵画作品?


    この後、ローマ軍の旗印になるのが、、

                  
    
        Χριστος ギリシア語でキリストをあらわす文字の
        頭の2つのアルファベットを組み合わせたもの、、
          (ただ単純に十字架を掲げるとの説もありますが、、

        この戦いの後、翌313年にはご存知のようにミラノ勅令を発し、
        キリスト教を公認します、、

     
    そして、この作品の反対(左手)にあるのが、受胎告知、、

      
        
     どちらの作品にも天使が登場し、対比させていますが、
     この天使、従来の持ち物である百合の花ではなく、棕櫚の葉を
     手にしています、「勝利・殉教」を象徴するもの、、
     、、「殉教」は死に対する「勝利」であるということで、、
     天使の上には、神の姿が、、

        中央に邪魔になるように柱が描かれていますが、
        もう一方の右の夢の絵にも、真ん中に天蓋を支える柱が、、
        「柱」は信仰のシンボルでもあります、、

              

                 教会内部、礼拝所周りの状況がこんな風ですから、
      どうしても、目の高さから、この二人に視線がいきます、、
     
         
    
      マリアは伏し目がちですが、
      片や、コンスタンチヌス帝の従者はこちらに目を向けています、
      ポーズは以前にも登場した、メランコリー・物思い (絶望) の恰好、、


      何故、ピエロはいちばん目立つ場所?に
      よりによってこの青年像を持ってきたのでしょうか?
      、、、いらぬことを考えてしまいます、、


        そう、このブログは、コンスタンチヌス帝の夢について
        書くつもりだったのですが、、

        しかし、この夢から、世界に向けてのキリスト教に、
        広く大きく光があたってゆきます、、
              、、、、


     さても、さても、混乱のままに、
     どうやらこのブログを終えることになりそうです、
     悪しからずご了承ください、、

     今日はこのへんで、
        
         
      
      

      


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