歴史的夢占い

   こんばんは、
   「夢」のお話を続けようと思っているのですが、、
     まずは、6年ぶりに登場させます一枚の作品から、、
               (2010年9月記)
         

      1550年頃製作、
      「狩猟姿のディアナ」ルーブル美術館蔵
      6年前は作者不詳と書きましたが、
      ルカ・ペンニ(1500頃−56)という名が出てきています、
      彼、フィレンツェ生まれのイタリア人、、パリにて没、、

      その折にも書きましたか、、ディアナ 英語ではダイアナ、
      ローマ神話の神の名ですが、これをギリシア神話名で
      アルテミスといい、、狩猟・貞潔の女神、、後に月の神、、

    この神に授かった、という意味の名前が、アルテミドロス、、

             Artemidorus


    
この名前で調べてゆくとまずひとつの作品にあたりまして、

        
         何故にこんな形?と思っていると、、

         

      ミイラ・ケース、大英博物館蔵、紀元100〜150年頃?
      ローマ時代入ってからのものです、、材はシナノキ
      20歳過ぎに亡くなった若者のミイラ、
         死因は不明?ただ頭蓋骨に陥没があるとか、

      ケースには、「アルテミドロス、さらば」と
      ギリシア語で書かれていると、、
              、、、、




    
  
   次に登場するのが、エフェソス生まれのひと、紀元前2世紀末頃の同名人物、

   ギリシア人地誌学者で地中海・黒海沿岸を旅し記録を残しています、
   上は、そのパピルス、、イタリア・トリノの、ある宮殿博物館所蔵とか、、
   後の人々の引用からのみ、その著作を知ることができないような実情、
                、、、、



   そして、もう一人のアルテミドロス
   彼は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に登場しますが、、
   その第2幕、第3場、、

          アーテミドーラス(英語読み)、紙片を読みながら登場

       『シーザーよブルータスに要警戒、キャシアスに要注意。キャッスカからは
       離れろ。シナにも注意。トレポーニアスは信用するな。メテラス・シンバー
       これも要注意。ディシャス・ブルータスは汝を愛せず、ケイアス、リゲイアス
       には、汝、非道をなしたるはず。彼らは完全に一心、ひたすらシーザーを
       狙いおれり。汝、もし不死の身ならずば、身辺の警戒を怠るなかれ。油断は
       禁物、陰謀に道を開くのみ。
       偉大な神々の加護、汝の上にあらんことを!汝の味方、アーテミドーラス。』
       
       シーザーが通るまで、ここで待つことにしよう、
       そして訴願人の体でこれを手渡すのだ。
       有徳の士も嫉妬の毒牙だけは免れぬかと思うと、
       私の胸はいたむ。ああ、シーザーよ、
       これさえ読めば、君の生命は無事だが、
       さもなくば、運命の神も反逆人の一味ということか。

            そして、次の第3幕、、

       アーテミドーラス  シーザーさま、万歳!この書面をお読みください。
       ディシアス  トレポーニアスからお願いがございます、恐れながら
          この請願状を、なるべく早くお読みくださいますよう。
       アーテミドーラス  ああ、シーザーさま、どうか私のを先に。お身の上に
          ついて、より緊急な請願でございますゆえ。お読みください、ぜひとも。
       シーザー  わが一身に関するものとあれば、それは最後だ。
       アーテミドーラス  一刻の猶予もなりませぬ、即刻お読みくださるよう。
       シーザー  なに、こいつは狂人か?
       パブリアス           こら、さがれ、さがれ、


            シーザー暗殺の直前の場面です、


            ただ、これはシェイクスピアの創作ではなく、、
            プルタルコス「英雄伝」に

       また、クニドス生まれのアルテミドロスという人は、ギリシアの学問の
       教師でありブルートゥスの仲間の幾人かと親しくなっていた。それで
       陰謀計画の大要を知っていたので、密告しようと思って、そのことを書状に
       記して彼の所にもってきた。ところが、カエサルが方々からきた書類の
       一つ一つを受け取っては自分の傍らの召使に手渡しているのをみて、
       つかつかとそばに近づいて、「カエサルよ、これをおひとりで早くお読み
       ください。あなたに関係のあるすこぶる重大なことについて書いてある
       のですから」といった。
       そこでカエサルはそれを受けとって、幾度となく読もうとしたが、彼に会いに
       きている人が多いためにそうするのが妨げられ、そのためこの書状一本だけ
       を手に大事に持ったまま元老院議場に入っていった。
       もっとも別に説をなすものがいて、その手紙を渡したのは別人で、
       アルテミドロスはまったく彼に近づくこともできず、来る途中ずっと人に
       阻まれていた、という人もある。


            以上、3人目のアルテミドロスでした、、


    
    さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ本命のアルテミドロス、
    先回のブログでの、たくさんの人物列記のなかの、ひとり、、

            ダルディスのアルテミドロス

   
小アジアのダルディスが、地中海沿岸エフェソスから内陸に入ったところで、
   この人も、エフェソスで生まれ活躍したところから、すこし紛らわしく、
   「エフェソスのアルテミドロス」と呼ばれたりもしていますが、、

   2世紀頃に活躍、彼の残っている著作が「夢判断の書(Oneirokritika)」
            ギリシア語で書かれています、
   10世紀頃に東ローマ帝国で編纂されたスーダ辞典(3万語に及ぶ辞典)に
   その記述があり、この作品のほかに「鳥占い」や「手相占い」の本もあった
   ようですが、現在は失われてしまっています、、

   さてこの「夢判断の書」、ヨーロッパに広まっていったのは、
   活版印刷が始まって、ヴェネツィアでアルディネ版(ギリシア語)が
   出版され(1518年)てから後、、
            
                

    その同年、スイス・バーゼルでラテン語版が出版され、
    このラテン語版から、1546年には、フランス語、
    1549年にはイタリア語に翻訳され、
    1603年には、パリで再度ギリシア語原文が出版、、
    1864年、65年には、それぞれ別の研究者がギリシア語校訂版を出版、
    1881年にはドイツ語版が出て、、、
    1975年には、英語版が、、
    そして、わが日本語翻訳が1994年、、

    それに加えて、イスラム世界にも翻訳されていまして、
    9世紀?に、フナイン・イブン・イスハークがアラビア語に、
    しかしこの原文は長く見つかっていませんでした、
       その存在が知られていたのは、
       10世紀、イブン・アンナディームの「フィフリスト」という
       図書目録のような著書によって、、
       これが、1872年にドイツ人フリューゲルによって翻訳され、
       一般に知られることに、、

    そして、その実際の書物が、1959年、
    ストラスブール大学教授のアラブ人学者によって、
    イスタンブール大学図書館で発見され、
       (もとはスルタン・アブデュル・ハミト2世の所有、
              オスマン帝国皇帝(1842-1918)
    1964年にフランスの援助を受けて、ダマスカスで刊行、、
             、、、、

     
     さても、それほど、人々の心を摑んでいたのでしょう、
     近現代まで、民間の夢判断のバイブルのような存在だったとも、
    
             

          こちらは、ある英語版のジャケット、
     
         、、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光、、
              、、、、




    さてさて、4人のアルテミドロスの出そろったところで、、                 
    再び、、最初の「アルテミドロスよ、さらば」となりますか、



         今日はこのへんで、
 

夢占い フランス・ルネサンス 

   こんばんは、
   「夢」のお話を続けますが、、

      今日は一冊の本のあるジャケットから、、

        

                 「ガルガンチュア」(1534年)

      フランソワ・ラブレー(1483頃-1553)著
        ラブレー、フランス・ルネサンス最大の人文主義者のひとり
        彼が書いた荒唐無稽物語(巨人が主人公)
          ジャケットにあるように、ひとをくった、
          とんでもないものでもありまして、、

        シリーズ全5冊ああり、 
        ラブレーの死まで書き続けられています、
        5冊目は死後1564年出版、そのため偽書説もありますが、、

        1543年には、その社会的権威へ風刺等から、
        パリ大学の禁書目録に登録されてしまいます、
        このとき2冊目をすでに出版していましたが、
        作者名を本名のアナグラム偽名で書いていました、
          François Rabelais 
          これを、アルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)として、

        当時彼はリヨン市立慈善病院の医師として働き始めていましたし、
        それまでに、ギリシアの医学書をラテン語からではなく本来の 
        ギリシア語から講義しており、、先回のヘロドトス「歴史」も
        ラテン語翻訳を試みたりもしていました、、

        それゆえ?シリーズ3冊目は当の本名で出版(1546年)、
        国王フランソワ1世の「特認」も得て、出しますが、
        残念ながら再度禁書目録に掲載されてしまいます、、
                 、、、、


      たとえば4年ぶりの登場?、
        ギュスターブ・ドレ(1832−1888)の挿絵には、

       

            幼児期のパンタギュルエル(ガルガンチュアの息子)
            の食事風景

 
    さて、そのシリーズ3作目、
    「第3の書 パンタグリュエル物語」13章にこんな記述が、、

      「さて、ウェルギリウス占いに出たところでは意見が一致せぬようだから、
      もっと別な占い法でやることのしよう。
      
      歴とした、由緒ある、正真正銘の占いだな。夢占いだ。
      そもそも、「夢について」におけるヒポクラテス、プラトン、
      プロティノス、
イヤンブリクス、シネシウス、アリストテレス、
      クセノポン、ガレノス、
プルタルコス、ダルディスのアルテミドロス、
      ヘロピウス、
クイントゥス・カラベール、テオクリトス、プリニウス、
      アテナイオス
及びその他の人々が記述している通りの状態で夢を見ると、
      霊魂は未来のことどもを度々予見いたすものだからだ。

      つまり嬰児が体を綺麗に拭ってもらい、腹いっぱいに乳を飲んで
      ぐっすりと眠ってしまうと、乳母たちは、揺り籠の側についていても
      用がないというわけで、今こそ好き勝手に振舞える時間だとばかりに
      のうのうとして、遊びにいってしまうものだ。
      これと同じように、我々の霊魂も、肉体が眠り込み体内諸器官の
      消化作用も完全に終わっていれば、眼が醒める時まで控えている
      必要も全くなくなるから、逍遥遊を試み、その生まれ故郷、即ち
      天界を再び訪れるわけだ。

      この天界から、霊魂は、その最初の聖なる始原の姿を明らかに
      啓示せしめられるのだ。そして、いかなることも突発せず、
      いかなることも生起せず、いかなるものも荒廃せず、一切の時間が
      現在し、その中心は宇宙の各地点にあって、その円周は全く存在せぬ
      という、無限なる理念の天球(これは、ヘルメス・トリスメギストス
      教義に従えば、神のことだが) こういう天球を、霊魂が観照してるうちに
      下層部運動としての過去の事象のみならず、未来の事象をも認知
      するように相成る。

      
   夢占いに関しての文章、、
   よくもまあ、これだけ人物名を並べたもの、、と思うのですが、、

           ウェルギリウス(BC,70-19)

           ヒポクラテス(BC,460-370頃)
           プラトン(BC,427-347)
           プロティノス(205?-270)
           イヤンブリクス(245-325)
           シネシウス(373-414)
           アリストテレス(BC,384-322)
           クセノポン(BC,427-355?)
           ガレノス(129-200頃)
           プルタルコス(48?-127頃)
           ダルディスのアルテミドロス(2世紀)
           ヘロピウス(??)
           クイントス・カラベール(??)
           テオクリトス(BC,318?-270?)
           プリニウス(23-79)
           アテナイオス(200年頃)

       それも、古代世界の人物ばかり、
       それゆえの?、、文芸復興、、
       (ひとりひとり、もう少ししっかりと観てゆけばよいのでしょうが、、
               、、、、


    さて、この上の文章の、すこし後に、こんなことも付け加えています、

      古代の占術師のアンピアラオスは夢によって託宣を受けんとする者は
      当日何も食べず、さらに3日前から葡萄酒を飲まぬようにせよと、
      申しておった、、、     


        
    そもそも、この一連のくだり、
    成人して騎士となったパンタグリュエルの、従僕の結婚の未来を、
    その本人の見る夢によって占おうというもの、、
    その従僕に、パンタグリュエルはこうも忠告します、、


      されば、明日、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光(アウロラ)が夜陰を
      追い払う時刻に、深い眠りに入って存分に夢を見てみるがよい。
      さりながら、一切の人間の情念、即ち、愛欲、憎悪、希望、恐怖から
      脱却いたし居らねばならぬぞ、、、

                    、、、、


        さてさて、薔薇色の爪持てる歓ばしき曙光(アウロラ)の時は
        とうに過ぎ、、当のわたくしは残念ながら、

            愛欲、憎悪、希望、恐怖にまみれてしまっていますが、


            今日はこのへんで、、



 

放尿の夢 ヘロドトス「歴史」

   こんばんは、
   「夢」をもうすこし続けます、、

     まずは、大英博物館所蔵の作品から、、
      

      1879年にバビロンの神殿跡から発見されたもの、、
      発見者は、大英博物館から依頼を受けていたホルムズド・ラッサムという
      イラク国籍のキリスト教アッシリア人、

        

      アッカド語楔形文字がぎっしりと刻み込まれています、、
         大きさは22.5×10cmほど、
         35行あるようで、最初の3行は破損により判読不能、、
      通称「キュロス・シリンダー」(BC.539〜530製作)
      アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世(BC.600-529)の功績
      が書かれています、、

      その記述が、旧約聖書のバビロン捕囚からの解放と符合するため、
      聖書記述の、歴史的事実としての一面を浮かび上がらせています、、
                   、、、、


    さてそのキュロス2世、彼、生まれる前から、逸話がありまして、、

    それは、ヘロドトス(BC,485頃-420頃)「歴史」からですが、

       (そもそも、日本語の「歴史」という言葉が良く使われだしたのは、
       明治時代になってから、、いうなれば非常に新しい翻訳語です、、
        江戸時代から辞書には見え、柳多留(川柳)なんかにも出たりしても
        いるようですが、、あまり使われていなかったような??

        「史」という言葉は、古くからあり、
        もともとは天体の運行を計算して、暦をつくる人を「史」と言ったようで、
        古代、暦をつくることは最も神聖なつとめであり、、それにともなって
        年月にかかわる記録も管理していたので、、
        それが「歴史」につながって、、、


      ただし、本来のギリシア語は ἱστορίαι
         その意味は、知りえたこと、とか、探求して学んだこと、、、


    
    彼は、こんなふうに「歴史」を書き始めています、、

       本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が
       時の移ろうとともに忘り去られ、ギリシア人や異邦人(バルバロイ)の
       果たした偉大な驚嘆ずき事蹟の数々――とりわけて両者がいかなる
       原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に
       知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べた。


         彼は古代世界にも関わらず、大旅行をしていたようで、
         東はバビロン、西はリビア、南はナイル上流アスワン、
         北に関しては、黒海北岸ギリシア植民地オルビアを中心に
         クリミア半島、ウクライナ南部あたりまで、、


         彼を「歴史の父」と呼び始めたのは、
         すこし前に登場したキケロから、とも言われています、、




    さてさて、長い前い前置きはこれくらいにして、、「夢の話」、、

    その第一巻 107章に、

       キュアクサレスの子アステュアゲスが王位を継いだ。
       アステュアゲスにマンダネ(キュロスの母)という娘があったが、
       ある時彼は、この娘が放尿して町中に溢れ、さらにアジア全土に
       氾濫するという夢をみた。
       彼はマゴスの夢占いの係りの者にこの夢を話し、彼らから夢の
       意味を子細にきいて驚愕したのである。
       それでアスチュアゲスは娘が年頃になった時、その夢に対する
       危惧から、自分の地位に釣り合うようなメディア人からは婿を
       選ばず、カンビュセスという名のペルシャ人に娘を与えたのである。
       この男は家柄もよく性質もおとなしく、しかもメディアの中流よりは
       ずっと低い地位にあると考えたからである。

       ところがマンダネがカンビュセスに嫁いだ最初の年に、
       アスチュアゲスはまた夢をみた。
       この娘の陰部から一本の葡萄の樹が生え、その樹がアジア全土を
       蔽ったという夢である。彼はこんな夢をみて、その夢を夢占いの者
       たちに伝えてから、既に妊娠中の娘をペルシアから呼び寄せ、
       やってきた娘を厳重に監視させた。娘から生まれてくる子供を
       殺すつもりであったのである。というのは、夢占い係りの者たちが、
       彼の娘の生む子が、やがて彼に代って王になるはずだと告げた
       からであった。


         こんな風に続いてゆきます、、

         王は、側近の最も忠実な人間に生まれた子を殺すよう指示します、
         そして、その人物は、それを自分の牛飼いに命じますが、
         たまたまその時に妊娠していたその妻の子が死産になって、
         その死んだ子と、預かった子をすりかえ、自らの子として育てます、、

         牛飼いの子として大きくなってゆきますが、おのずと
         高い能力を持ち、10歳になった頃にはその評判がアスチュアゲス王
         まで届いてしまい、、、


         さてさて、つづきが気になる方はどうぞ「歴史」を、、



         
            よき時間になってきました、、

            夢はまだつづくのでしょうか、、


            今日はこのへんで、

    



     

羽根のない天使と梯子、ヤコブの夢

  こんばんは、

  「」の話を続けますが、そこに辿りつくために、
    まずは、一枚の作品から、、

    

            久々の登場、ゴーギャン(1848-1903)の1888年の作品、、
          (2011年8月以来?)  スコットランド王立美術館蔵
      タイトルは、「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)

    ゴーギャンがタヒチへ向かう(1891年)前、ブルターニュ滞在中のもの、
    当地の民族衣装に身を包んだ女性たち、
    彼女たちが教会で説教を聞いた後に、その場面を幻想として見ている風、、

      その題材は旧約聖書、巻頭、創世記の第32章
      同じ内容の作品をドラクロワが描いたものは、
      2012年1月14日に取り上げましたが、その聖書の文章、、


      「その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに11人の子供を
      連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡して
      しまうと、ヤコブはひとり後に残った。そのとき、何者かが夜明けまで
      ヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの
      腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
      「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」その人は言ったが、ヤコブは
      答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」。「お前の名は
      何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った
      「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。
      おまえは神と人と闘って勝ったからだ」。

        イスラエル;神に勝つ者 イシャラー Isra(勝つ者) とエルel(神)


    この上の作品について、ゴーギャンはゴッホに手紙で、、

      私は人物に素朴で迷信を信じるような、偉大な単純さを表現できたように
      思う。これは非常に厳粛な絵画である。
      この絵に描かれている風景と天使とヤコブの闘いは、説教のあとで祈る人々の
      想像の中にだけ存在する、、


    この絵、ゴーギャン自身の「印象派」への決別宣言のようなものでしょうか、、
    以降、目に見えないもの、視覚(網膜)では捉えられないものを表現し始めます、、

                、、、、



    さて、前置きはこれくらいにして、、本題、「」のお話しを
    この「ヤコブ」が上の天使との闘いより以前に、「夢」を見ます、、

      「ヤコブ」イスラエルの民の始祖、
      彼が双子の兄エサウを出し抜いて長子の器におさまったため、
      兄から命を狙われ、そのための逃避中に、、

      以下創世記、28章から

      「ヤコブはベエルシバを立って、ハランヘ向かったが、一つの所に着いた時、
      日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取って枕とし、そこに
      伏して寝た。時に彼は夢をみた。
      ひとつのはしごが地の上に立っていて、そのいただきは天に達し、神の使い達が
      それを上り下りしているのを見た。
      そして主は彼のそばに立って言われた。
      「わたしはあなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが
      伏している地を、あなたと子孫に与えよう。(中略)
      わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたを
      この地に連れ帰るであろう、、、」
      ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、
      わたしは知らなかった」
      「ここなんという恐れ多い場所だろう。これは神の家である。ここは
      天の門だ」
    

    

            ミヒャエル・ヴィルマン 1691年 ベルリン、ボーデ美術館

   

       こちらは、ムリーリョ 1660-65年 ロシア、エルミタージュ美術館


    例示した作品は、とりあえず梯子が描かれ、聖書にもはしごという表記に
    なっていますが、どうやら本来の姿は、煉瓦の階段であったようで、、、
      (それにならった作品も、比較的最近のものにはありますが、、


    そして、よく考えて、上の作品を見てみると、、ひとつの疑問がうまれます、


       天使たちに空飛ぶ羽根があるのに、何故に階段が必要なのか?
       という、、、


       つまり、旧約聖書成立当初、  
       天使たちには羽根が付いていなかった、、
       付いているとは考えられていなかった、、という事実が、、
               、、、、


        さてさて、何を書こうとしたのでしょう?


            「ヤコブの夢



        夢の話は、まだ続くのでしょうか、、


        今日はこのへんで、

夢から外れて、、カラヴァッジョ、消された手

   こんばんは、
   すこし続けますが、「夢」の話からは外れます、、

     まずは、先回から続いてメムリンク「聖ウルスラの聖遺物箱」
     ウルスラがまさに殺されようとしている場面

        

         服装は当時の恰好、
         背景にはケルン大聖堂がみえます、、

     

        こちらは、先回も登場した、カルパッチョ 1497−8年頃
        結構大きく、268×520cm 
        左手はウルスラの殉教、右手には彼女の葬儀が描かれています、

      この作品からおよそ100年の時間が流れて、
      1610年 ある画家が生涯最後の作品として
        (異説あり、、しかし最後の時期の作品には間違いありません)
      聖ウルスラを描きます、、

    

       カラヴァッジョ 聖ウルスラの殉教 154×178cm
         パラッッォ・ゼヴァロス・スティリアーノ美術館 ナポリ

     登場人物はたった5人、それも一人は右端に後ろ向き、、
     横に一列に並び、顔のラインもほぼ同じ高さ、、
     まさに矢がウルスラの胸元に刺さった瞬間、、   
       闇は深く、矢を射た王も、その横の人物も顔が陰になっていて、
       その真ん中の人物の身体はほとんど闇の中、、

   

     何冊か本を見ていて、ふと気づいたのですが、
     どうやらこの作品、修復?後に「手」が出てきたようで、
     ウルスラの両手の斜め下に、中央人物の手が王の矢を阻む?ような感じで、
     前に差し出されています、、
       、、比較的新しい出版年の本の画像には手が現れています、、

       この作品そもそも、イタリア商業銀行が所有しているらしく、
       以前は、あのカポディモンティ美術館が委託公開していたようですが、
       現在は、銀行自らが所有することになった建造物に美術館をもうけ、
       そこに展示されています、、

       新たに展示替えする際に、修復したのでしょうか?
               、、、、

       この作品の注文依頼主は、
       ジェノヴァ公マルカントニオ・ドーリア、
       この人、どうやらローマ時代のカラヴァッジョの友人でもあったようで、
       彼が可愛がっていた義理の娘が住む修道院のために依頼したとか、
          1610年5月17日に、完成後、ナポリから発送されています
             、、死亡が7月18日ですから、、

       1609年夏、刺客から逃れるようにカラヴァッジョは、ナポリに
       やってきますが、その直後に市街で4人の武装者たちに取り囲まれ、
       瀕死の重傷を負ってしまいます、、
       ローマでは彼の死亡説も飛び交うほどの重傷だったようですが、
       作品はいくつか生みつづけます、、

          その中の一枚が「ウルスラ」、
          そんな状況ですから、上の一本の手のあるなしで、
          意味合いが変わってきます、、

   

     ウルスラを挟むように二人の人、
     右のすこし上向きに口を開けている人物はカラヴァッジョ自身の
     自画像といわれ、、左手の人物は頭にターバンを巻いているような?、、、
     この人が右手を前へ出しているわけですが、
     この二人は、ウルスラ側の人間として描かれているのでしょうか?
         
     ウルスラ自身は、動じることなく、じっと矢を見つめています、、
     先回の天使の告知が、神の意思が、「殉教」が現実になる瞬間、、

     

     片や、フン族の王、アッチラという記述もありますが、、
     深いしわのなかに、悲しみすら感じ取れます、、
       身体の向きも、残りの4名の人と同じように正面よりも
       いくぶん左方向に、、
       これによって、最初の2枚の作品のように、対立する関係というよりも
       弓を射る王自身も他のものと同じ仲間?のように見えてしまいます、、
              、、、、


     さてさて、どうしてもこの作品に登場してもらいたかったのですが、、
     はたして、カラヴァッジョ最後の作品なのかどうか?

        いずれにしてもこの頃の作品は、
        ひとつひとつ見てゆかねばならないほど、
        死が、(生) が、近くに感じられるものばかり、、
        、、今回、その誘惑は抑え込んでおきましょう、、
              、、、、



     人を殺し、そして人を何度も傷つけ、
     なおかつ、刺客に殺されそうになった画家、、
     ある評者は、、

        すぐに腹を立てる気難しい男だった。
        狭量で、よこしまで、ねたみ深く、意地悪で、喧嘩早く、
        路上でいさかいを起こす輩で、そのうえ殺人犯で、
        たぶんホモセクシャルだった。
        彼は多大の才能に恵まれていたが、
        分相応の生活をする能力には欠けていたのである、、、

           ( 2013.10.09.にすこし書いていましたが、、



     この作品、実は1980年まで、マッティア・プレーティ (1613-1699) によるものと
     されていましたが、資料発見によって、カラヴァッジョが作者であることが
     実証されました、、


     しかし、いつごろ、だれによって、「」は消されたのでしょう、、



         さても、良い時間になってきました、、
         それでは、今日はこのへんで、、

        
     

聖女の夢

   こんばんは、
   「夢」シリーズ、続けてゆきます、、今回で6回目、
  
     まずは、小さな画像から、、

            
                  
              1490年頃作  メムリンク(1430−40頃〜1494年)
   
   右側はうまく判読できませんが(洗礼者ヨハネ、後ろには聖ゲオルギウス)、、

         

   左の作品には聖母子と二人を囲むように6人の聖女が描かれています、、
     どうやらルーブル美術館にあるようですが、、
     おそらく真ん中で二つ折りにして持ち運べるタイプの作品、、
             (幅が15cmほどです、
     その人物、左から
     聖カタリナ(アレキサンドリアの)指輪をもつ
           2011.11.3.記
      アグネス、子羊、
      チェチリア(セシリア)、手動オルガン
      ルキア(ルチア)、眼球
           2013.10.23.記
      マルゲリータ(アンティオキアの)、ドラゴン
           2011.4.13.記
      バルバラ、塔
          それぞれの持ち物を携えています、、
      、、人気の有名どころの聖女たちです、、


   さて、その同じメムリンクの作品に、   

      

    1489年作 「聖ウルスラの聖遺物箱」 メムリンク美術館(ブリュージュ)
     大きさは、87×91×31cm、とそんなに大きくありません、、
         この反対側の面に

                          

        聖ウルスラが10人の女性を覆うように描かれ、
        手には長い矢を持っています、、

    彼女についての記述で最もポピュラーなものが、
    再登場、ウォラギネの「黄金伝説」1267年頃作
    このなかには、175の逸話が集められていますが、
    その151番目のお話し、
 
      「一万一千童貞殉教女

          といういかつい題名が付けられていますが、

      まだローマ時代?の話で、ブリタニアのある王の娘ウルスラ、
      見目麗しく評判もよかったので、イングランド皇太子から結婚を
      申し込まれます、しかし彼女敬虔なキリスト教徒、
      この申し出を断るつもりで、皇太子にもクリスチャンになることを要求、
      なおかつ3年間の予定のローマ巡礼が終わるまで待ってほしいと返事を
      すると、あっさりOKされてしまい、、

      自分に同行させる10人の処女を両国から選んでもらい、
      彼女らもクリスチャンにしたうえで出発、、

      そのうえその10名と自らに千人の侍女を付けたものだから、
      総勢一万一千人を越えるほどに、、
        これには、ローマ数字 Ⅺ (11)この上に横棒をつけると、
        ×1000 を表すことになりますが、
        たまたま何かの理由で書かれてしまった横線を、
        読み込んでしまったのでは、とも、、
        また異説では、
        11Martyres Vierges (11処女殉教者)を
        ローマ数字 XI.M.V.  1万1千と読んだとか、、
        侍女に Undecimilla、1万一千という名の人物がいたとか、、
                  、、、、

      さて、彼女たち、イギリス海峡を渡り、ライン川を遡って、
      ケルンに到着した際に、
      ウルスラの前に神の御使いがあらわれ、彼女にこう告げたといいます、
        あなたは無事ローマ巡礼を終えてこのケルンまで戻ってきますが、
        この地で異教徒の手によって殉教します、、と、

      こう告知されますが、そのままウルスラは巡礼に赴き、
      ケルンに帰ってきて、ケルンを攻撃していたフン族につかまり、
      彼女の美しさゆえに、王に結婚を迫られますが、拒否、
      怒った王の弓矢を胸に受け、殉教、、
        ただ、その後フン族はケルン包囲を解いて引き上げたため、
        彼女はケルンの守護聖人に、、

      
    さて、その「夢」の話ですが、

     

      カルパッチョ(1455−1525) ヴェネツィア画家の「ウルスラの夢」(1495年)
             アカデミア美術館、ヴェネツィア

     ケルンで彼女の「夢」に天使があらわれて、、という設定画、、
        (しかし、「黄金伝説」には「夢の話」はいっさい
         登場しません、、

                

        天使が手にしているのは、またしても棕櫚の葉
        「殉教・勝利」のシンボル、、
               、、、、


     最後にすこし話を戻しますが、
     上に登場させた「聖ウルスラの聖遺物箱」
     残念ながら現在は空っぽのようで、、今となっては、
     本来、何が入っていたのかも、知る由もない状況とか、、 
                、、、、


     もうひとつ付け加えておくと、
     かつてカトリック典礼歴では10月21日を聖ウルスラの祝日と決められていましたが、
     彼女の実在が現在では疑問視されているため20世紀になってこの祝日は
     とりやめになってしまいました、、

       そもそも、この伝説を大きくする一つのきっかけとなったのは、
       現在聖ウルスラ教会が建てられている場所(ケルン)、
       もともとは墓地だったようですが、
       1106年の市街地拡張工事の際、予想を上回る多くの人骨が発見されたため
       ともいいます、、

          その骨の一部?が、この教会の「黄金の部屋」に
          モザイクのようにして残されています、、

     

            アーチ型の部分、すべて人骨です、、
                    、、、、



       さてさて、いらぬことを付け加えてしまいました、、
       そろそろ良き時間、、
       もう一枚、登場してもらわなくてはいけないウルスラ作品が
       あるのですが、、

       「つづく」、としまして、
       今日はこのへんで、 


 

コンスタンティヌス大帝の夢

  こんばんは、

    このブログどうやら勝手にコピーされているようで、
    同じ記事を他のブログページで見かけられることも
    あるかもしれません、、困ったものですね、、

  さて、今回はいきなり一枚の絵画からはじます、、

           

    夜の場面、登場人物は5人、4人ではありません、
    左上に後ろ姿で天使が描かれています、、

      

   絵の具の剥離(フレスコ画)で天使のスカート?部分が
   消えていますが、、右手の先に十字架を持っています、、

   光はこの天使から発するように描かれ、
   テントの中で眠るひと、頬ずえをつく人らを照らしています、、

    
    さてここで話を中断して、
    再び地図を登場させますが、
 
   
                  
    画面ほぼ中央丸印の中央にある都市、アレッツォ Arezzo
    斜め左上、フィレンツェまで80kmほど、、

    
   
    古く美しい街ですが、
    この街のサン・フランチェスコ教会に上の作品が描かれています、
    作者は、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-1492)、、
      (彼この街の近郊の生まれ、、
    フレスコ画です、、

        
   
    天井は別として、奥まった部分全体を彼が描いています、
    全10画面、「聖十字架伝説」
    正面右手奥に上の作品が見えます、、

      「聖十字架伝説」、
      創世記アダムが死んで生えた木が、その後キリストを
      磔にする十字架となり、ローマ時代末に再発見されるというお話し、、
      年数に換算すると4600年以上?に渡るような?、、
  
      描かれた画面は10枚、
        1.アダムの死 仮定としてBC.4000年頃?
        2.シバの女王のソロモン王訪問 紀元前10世紀頃
        3.聖木の運搬
        4.聖母マリア、受胎告知
        5.コンスタンチヌス帝の夢
        6.コンスタンチヌス帝の戦闘(夢見の翌日)312年
        7.ユダの拷問
        8.聖十字架発見
        9.ヘラクレイオスとホスローの戦い
        10.ヘラクレイオスのエルサレム入城 630年
   
      最初のフレスコ画は、コンスタンチヌス大帝(272-337)の夢、
         (330年頃には、首都をローマからコンスタンチノープル
         (現イスタンブール)に遷都
      ある戦いの前夜、夢に天使があらわれ、
      戦いに十字架の旗印を掲げると勝利を約束すると言われている様子、
      
                   

    おそらく、写実的に光を(夜)捕らえた、歴史的に最初?の絵画作品?


    この後、ローマ軍の旗印になるのが、、

                  
    
        Χριστος ギリシア語でキリストをあらわす文字の
        頭の2つのアルファベットを組み合わせたもの、、
          (ただ単純に十字架を掲げるとの説もありますが、、

        この戦いの後、翌313年にはご存知のようにミラノ勅令を発し、
        キリスト教を公認します、、

     
    そして、この作品の反対(左手)にあるのが、受胎告知、、

      
        
     どちらの作品にも天使が登場し、対比させていますが、
     この天使、従来の持ち物である百合の花ではなく、棕櫚の葉を
     手にしています、「勝利・殉教」を象徴するもの、、
     、、「殉教」は死に対する「勝利」であるということで、、
     天使の上には、神の姿が、、

        中央に邪魔になるように柱が描かれていますが、
        もう一方の右の夢の絵にも、真ん中に天蓋を支える柱が、、
        「柱」は信仰のシンボルでもあります、、

              

                 教会内部、礼拝所周りの状況がこんな風ですから、
      どうしても、目の高さから、この二人に視線がいきます、、
     
         
    
      マリアは伏し目がちですが、
      片や、コンスタンチヌス帝の従者はこちらに目を向けています、
      ポーズは以前にも登場した、メランコリー・物思い (絶望) の恰好、、


      何故、ピエロはいちばん目立つ場所?に
      よりによってこの青年像を持ってきたのでしょうか?
      、、、いらぬことを考えてしまいます、、


        そう、このブログは、コンスタンチヌス帝の夢について
        書くつもりだったのですが、、

        しかし、この夢から、世界に向けてのキリスト教に、
        広く大きく光があたってゆきます、、
              、、、、


     さても、さても、混乱のままに、
     どうやらこのブログを終えることになりそうです、
     悪しからずご了承ください、、

     今日はこのへんで、
        
         
      
      

      


夢のつづき ホメロスから

  こんばんは
  すこし「夢」を続けてみましょう、、

    まずは、先回に続き一枚の写真から始めます、、

  

  

    ポイントが入っている地点、リヨン(Lyon) です、
    都市圏人口で言いますと、フランス第2の規模になります、

    この街出身の画家の作品に

  

      ルイ・ジャンモ(1814-92) 「魂の飛翔」 1854作

    ロマン派と象徴主義絵画のつなぎの画家ともみなされ、
    その神秘主義的、理想主義的、そして宗教的(カトリック)雰囲気が
    顕著にあらわれています、、
    彼を含めて、同じような画風の仲間たちは「リヨン派」と呼ばれています、、
    

    さて、この絵をジャケット・カバーにつかった作品がありまして、

                  
                  ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)
              「オーレリア」(1853-54)

   これの書き出しが、、

     夢はひとつの第二の人生である。
     われわれを不可視の世界から隔てているこれら象牙かまたは(つの)の
     門を私は戦慄を覚えずには潜れなかった。
     睡眠の最初の数瞬は死の姿である。漠とした麻痺がわれわれの思考を
     捉え、われわれは自我が他の形で存在の営みを続ける明確な刹那を
     明らかにしえない、、、


   さてその象牙の門と、角の門、、
   これについては、古く、ホメロスの「オデッセウス」の、、

     まことに夢はむつかしい、わけのわからぬもの、夢見がみんな人間に
     そのとおりになるとは限りませぬ。
     はかない夢の門は2つになっていて、ひとつは、ひとつは象牙
     できている。
     切った象牙の門を通ってくるものは、まことならぬ言葉をもたらし、
     人をだますが、磨いた角の門を通って出てくるものは、人の子が
     それを見た時には、かならず正夢となるのです、、、 
    

   これが、ローマ時代にはいって、ウェルギリウス(BC,70-19)の
   「アエネーイス」には、、

     ”眠り”の二つの門があり、ひとつはで造られて、
     真の影には出てゆくに、きわめて容易な道であり、
     他は磨かれた雪白の、象牙で造られ輝いて、
     いつも霊らが上界に、にせの夢を送る門、

                と、書かれ、、
      この岩波文庫の翻訳に書き加えられた注釈には、、

       古代の考えでは正夢は夜半後に、いつわりのものは夜半前に来るとされる。
        (中略)   ウェルギリウスは神秘的なものに憧れる人間の一般的な性質に
       大きい興味と理解をもつとともに、一方、予言や神兆、また占星術に
       疑いを持つ開明のすぐれた知識人でもあった、、
              
               という文章が、、
           彼ウェルギリウスは、キケロとほぼ同時代人、、
        

   これが、2世紀頃の、ルキアノスでは、、

     夢たちの島、睡眠と呼ばれる港市の門は、ホメロスが述べているように
     二つではなくて、四つもあり、その二つは「茫漠」という平原に向かって立ち
     ‥‥それらの門からは怖い夢、血腥い夢、無情な夢どもが旅立ってゆく
     ‥‥また他の二つは、港や海の方に向かって、そのひとつはで出来ており
     これが我々のの通って来た門で、もうひとつは象牙の門であった、、、
                  「本当の話」より


   そして、400年ころに活躍した、先々回登場していますマクロビウスに戻って、
   彼の「スキピオの夢注解」では、、

     夢は5つに分けられ、幻影、悪夢、謎かけの夢、予言の夢、託宣の夢、、
     はじめ二つは、はしたない夢、
     夢を見る当の本人の心の惑いとか欲望とかがそのまま睡眠中によみがえって
     きたり、あるいは目覚めの際にうすぼんやりと脅迫的な風を装って現れる、
     いずれにしても、本人の責めに帰すべきつまらぬ夢。
     残りの三つは、どれも本人の心を越えて高いところからやってくるもの。
     謎かけとは、この世の姿形をとってあらわれるものが、実は世界のなかに
     秘された真理をあらわしているといった体の夢。
     予言とは、本人にこれから起こる運命を、今あらかじめ出現させてしまう夢、
     そして、最後の託宣とは、夢をとおして超越者が本人たちに行動の決断を
     命ずるもの。
     この三つは、本物の夢。過去、現在、未来のすべてのことわりが、夢の中で
     指し示されるということに、、
               と、変化しています、、


   ただ、このマクロビウス「スキピオの夢注解
   中世の教育機関(修道院や大学等)では、教科書としても活用されていたようで、、

     自由7科といって、必須科目が定められていて、

       言語にかかわる、3学
         文法学、修辞学、論理学、、
       数学にかかわる、4科
         算術、幾何学、天文学、音楽、

     これらの科目のすべてにこの「スキピオの夢注解」が関わっていました、、
     キケロの文章は、言語的に古典ラテン語の模範になりますし、、
     先々回で触れましたように、天文学も出てきますし、、

  

  

  
   
   (見えにくいので2つに分けてみました)
    天文学を中心に7人の各学問を象徴する女性が描かれています、、
     (出所は全く不明、悪しからずご了承ください)


    さてさて、夢の話が、すこし余談になってしまいました、、
    そもそもが、とりとめもないお話し、、
    、、角だの、象牙だの、、、
      、、空飛ぶ夢の夢判断は?
           ???

    今日はこのへんにしときましょう、、
 

ベルガモ ベルガマスク 図書館

  こんばんは、
  今回もある都市の図書館からはじめます、、その街は、、

  

         北イタリア、ベルガモ、、 、、 美しい街です、、

          

       ヴェネツィアからは230kmほど、
       ミラノからでは60km、
      1428年以降、ナポレオン侵略の1797年まで、
      ヴェネツィア共和国統治下でした、、 

   この都市の名前が出ると、どうしても一人の作曲家に再登場してもらいたく、、、

      クロード・ドビュッシー(1862-1918)

   彼、この街を? モチーフに ピアノ独奏用組曲を書いています、、
     
     タイトルが、「ベルガマスク」 Suite bergamasque

                          bergamasque、
          ベルガモの、ベルガモ舞曲、、というような意味合い、、

     彼ドビュッシー、何時、ここを訪れたのか?
     20代半ばに「ローマ賞」をとって、ローマ留学をはたしていますが、
     10代の終わりには、(再登場人物)チャイコフスキーのパトロン(愛人?)
     フォン・メック夫人(2012,12記)の子供たちのピアノ教師として、
     イタリア各地を訪れもしています、、

   しかし、この作品製作の直接の動機は、
   ポール・ヴェルレーヌ(1844-96)の詩作品とか、、

      (ひとつ付け加えるなら、ドビュッシーは9歳のころ、ヴェルレーヌの母親に
      ピアノを習っています、そして驚くべきは10歳でなんとパリ音楽院に入学、、

   その詩が、、詩集「艶なる宴」収録の「月の光」、、

       その中の、

       "Que vont charmant masques et bergamasques"
    
       という一節、、
       訳文は様々で、、直訳?すれば、、
       「現れた、艶なる仮面喜劇者とベルガモの踊り子たちは」とでも、、

         (ルイ王朝時代、フランスではベルガモ出身のイタリア人役者や
          踊り子たちが活躍していたといいます、
          彼らがイタリアなまりのつたないフランス語で演技すると、
          それだけで観客に大受けだったとも、、

          そもそも、この題材、あの画家ワトー(1684−1721)らの
          野外での宴をモチーフにしていまして、、

          たとえばベルリンにこんなワトーの作品もあります、

  

          題名も「イタリア喜劇の恋」1717年
          右上片隅に月の光も、、

          ヴェルレーヌは、ルーブルでワトーの作品も観ていたようで、、

          さてその詩作品、全文は、、
                      
           
            あなたの魂は選りすぐった風景
            魅惑的な仮面、ベルガモの衣装
            リュートを奏で、踊りゆく
            幻想的な仮面の下に悲しみを隠し 

            
恋の勝利や人生の成功を
            彼らは短調の調べにのせて歌う
            その幸福を信じる素振りもなく
            その歌は混ざり、月の光に

            悲しく美しいあの月の光の静寂に
            梢の鳥たちを夢に誘い
            すらりとした大きな大理石の噴水を
            うっとりとすすり泣かせるあの月の光に


                、、、、



   さてさて、長〜い前置きになってしまいました、
   本題はその「ベルガモ」の、「図書館

        

      市立図書館ですが、名称に個人名が付けられていて、、

              アンジェロ・マイ図書館

                      と呼ばれています、、 

    アンジェロ・マイ(1782-1854) 
    このベルガモの近郊で生まれた人ですが、、
    最初はイエズス会に籍を置き、のちに枢機卿までのぼりつめた人、、
    言語学者・文献学者とでも言うのでしょうか、、


       彼、大発見をしていまして、それがこちらです、、

       

         文字が2重になっていますが、
         この紙自体は羊皮紙、
         古代、紙は貴重だったゆえに、実は再利用されていました、

         不必要と判断した羊皮紙の文字を削って、
         あらたな作品を筆写する、、

         この画像、おおきな文字でうすく書かれたのが 
         つまり消されていたのが、、

            キケロ 「国家」 De re publica

                 小文字の濃い記述が

            アウグスチヌス(354-430)  旧約聖書「詩篇」注解


         本来消されて見えにくくなっていたテキストを
         ある化学反応でよみがえらせたのが、アンジェロ・マイです、

         この発見により、古来消滅したと考えられていた作品が
         いくらか復活しました、
         「国家」に関しては、最終章「スキピオの夢」以外ほとんど?
         消えていましたが、この発見によって、
         全体の1/4ほどが明らかになったともいいます、、



        ひとつ付け加えるなら、上記アウグスチヌス、
        彼はその著作「神の国」のなかで、
        上記キケロ「国家」を引用してもいますが、、
                、、、、
     

           

         この図書館蔵書数100万を超え、
         イタリアでも重要な位置にあるとか、



         ベルガモ、ドビュシー、図書館、アンジェロ・マイ
          アウグスチヌス、
            、、キケロが結んだ、細々とした糸でした、


          さて、この糸、何処へ続いてゆきますか、、

          今日はこのへんで

             
   

キケロの思い 

   こんばんは、
   すこし続けてみます、、

     まずは、ある建築物から、、

    

    

     
  
    古都コペンハーゲン、「ブラック・ダイヤモンド」の異称もあるようですが、
    デンマーク王立図書館、、、北欧一の蔵書数ともいわれています、
         (黒大理石とガラスの混成)
        この建物をはじめとして、4つの分館にわかれてかれているようですが、、
        創設は古く1648年フレデリク3世によって作られています、、


    さてこの図書館に、12世紀に書かれたある写本があるようで、、
      それがこちら、、

     
    
     先回から登場している「スキピオの夢」
     これに5世紀に活躍した文献学者マクロビウスが注釈をつけた本です

       そもそも、キケロが書いた「スピキオの夢」
       本来は彼の作品「国家」の最後をしめくくる文章です、
       しかし、現在その「国家」は全体の1/3しかのこっていません、、


    下に横たわっているのがスキピオ、手のひらで大きな円を支えています、
    楕円形うすい線が全部で9層引かれています、
    その中心にあるのがわが地球、

       各層、外側2層目が土星軌道
       その内側、木星、火星、太陽、金星、水星、月と分けられています、
        
    部分的に星空が描かれており、7人の人物がみえます、、
    右側の二人は小スキピオ本人(右)と祖父の大スキピオ(左)
           (足元には三日月が)
    左の二人は父(右)とスキピオ
    上の3人は真ん中に小スキピオをはさんでの全員集合の状態、、

       夢のなかでスキピオ(小)はこの2人と遭遇します、、
       眠るとともに、祖父大スキピオが現れ、
       それを見た、スキピオは身体中を震わせて怖がりますが、
       祖父の言葉に恐怖が消え、
       天空から、後に彼が滅ぼすことになる「カルタゴ」を
       指し示されます、、

       そのあとで、亡くなっている父が登場しますが、
       今度はスキピオ、涙を流して、父に抱きつきます、、

       そして、二人が聖なる所に住んでいるのを聞き、
       私もすぐにここに来ますと懇願しますが、
       お前はまだ国家に尽くさなくてはならない、
       カルタゴを滅ぼさなければならない、と諭されます、、
             、、、、

         こんな風に、進んでゆきますが、、


       つまり、地球の卑小さや、現生的事柄の取るに足らなさを認識させ、  
       国家に奉仕したものには天上の永遠至福が用意されていることを
       指し示します、、



    キケロ、この作品を50代半ばに書き上げています、、



   さて、そのキケロの死への経緯ですが、


    そもそも、カエサル自身が市民に人気がありすぎた?ようで、
    刺殺翌日、ブルートゥス等は民衆を集め演説を行いますが、
    逆に人々から攻撃されるはめに、
    彼らは結局ローマから離れます、

    やがて、アントニヌスが実権を把握しますが、
    カエサルの遺言には、後継者として、オクタウィアヌスが指名されていました、
    その彼が(当時18歳)4月ギリシアからローマに帰還して、
    (遺産は遺言書に反して、アントニヌスの管理下にあったゆえ)
    借金をして、7月にカエサルの弔いのために、競技会や演劇会を主催、
    自らの存在を人々に知らしめます、、

    しかし、翌年3月に入って、とうとう二人は衝突、(ローマ北方200kmモデナ)
    アントニヌスは敗北撤退、
    元老院はキケロが中心になって、アントニヌスの横暴に彼を国賊に決定していますが
    しかし、オクタウィアヌスがローマにもどり、カエサルとしての養子縁組や、
    元老院から執政官職等を受けている間に、アントニヌスは
    レピドゥス等を自らの陣営にとりこみ再編成、、
 
    再び、オクタウィアヌスは軍を率いローマを出発しますが
    結局、11月二人は講和を結び、第二回三頭政治が始まります
      アントニヌス、オクタウィアヌス、レピドゥス

    そして、始まるのが暗殺されたカエサルに対しての報復・粛清の嵐、
    対象は元老院の300人、騎士階級(経済人)の2000人、
    これらの人の資産没収、
    そのうち130人を国賊に決定し、裁判なしの死刑求刑、処刑、、

      まず最初に、公にされた名簿に、カエサル暗殺の実行犯14名の名前と、
      その前に、つまりは粛清者の筆頭にキケロの名が、そして彼の弟、、
            、、、、

      オクタウィアヌスにとってもカエサルは大伯父、
      精神的にも近しい存在、
      キケロを含む元老院の多くの人(反カエサル派)に
      手のひらを反すように、復讐を実行します、
      一年半ほど、表には出さず、普通に付き合っていたようですが、、

      キケロは、オクタウィアヌスをその若さも加味してか、
      ずっと、自分側の人間と思い込んでいた?ようです、、
      しかし、冷静?に考えれば、、、
            、、、、


    オクタウィアヌスに関して、
    初代皇帝アウグストゥスになってのち、、
    孫たちがキケロの著作を読んでいるのに遭遇した際、
    キケロのことをこう語ったといいます、、

      教養はある人だった、、
      教養があって、深く国を愛した人でもあった、、
           、、、、



        さてさて、そろそろ時間が、、
        この後、どこへ続いてゆくのでしょうか?

        今日はこのへんで


   

   

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